「神道」は宗教ではありません。

「神道」は宗教ではありません。

「神道」は宗教ではありません。先ず、宗教とは、読んで字の如く「教えるのを宗とする」ものです。従って宗教には必ず教える人と教えられる人と材料があります。
キリスト教で言えば、教える人イエス・キリスト、教える材料は「旧約聖書」・「新約聖書」であり、教えられる人はキリスト教徒です。仏教では、教える人お釈迦様、教える材料は「仏典」・「経典」であり、教えられる人は仏教徒です。イスラム教で言えば、教える人マホメットあるいはモハムド、教える材料「コーラン」であり、教えられる人はイスラム教徒です。

そして、これらの教える人は、私たちのような一般人ではなく、いわゆる神さまに近い聖人のようなお方です。また人間として私たち同様に、地球上に生を受けた人なのです。ここが神道と根本的に異なることに留意すべきです。

神道には、教える人もいなければ、教える材料もないのです。誰が教えたという人はいません。また教える材料もありません。祝詞はありますが、祝詞は私たちが祈願をし、感謝を述べるものであって、教える材料などではありません。
神道の特徴をまとめてみます。

①教祖がいない。
他宗教と異なり、自然発生的に成立した神道には、教祖がいないのです。

②教典がない。
教義を記した教典、教本が神道にはありません。神道では祭祀、儀礼を重視します。教典については「古事記」・「日本書紀」を挙げて反論する人もいますが、それらは歴史書であり、神道の教義教典に属するものは書かれていません。

③布教活動をしない。
鶴見神社宮司の私は信者獲得の為に、神道への宗教的勧誘や布教活動を一切したことがありません。鶴見神社の氏子のほとんどが仏教徒です。それでも千年の歴史を持つ鶴見神社で布教活動をした宮司は誰一人おりません。

神道で大切なのは、「その対象はすべて大自然そのものである」ということであります。森羅万象のすべてに神さまが宿るという考え方であります。したがって、先人たちは、山には山の神さま、海には海の神さま、川には川の神さま、野には野の神さま、田には田の神さまと言うように、八百万(やおよろずの)神様がいらっしゃると捉えているのです。

日本人は、こうした大自然の声を直接聞き、感応し、日々実践してきた民族なのです。朝日が昇ると一日が無事であります様にと祈願し、夕日が沈むと一日を感謝し、日々の行動には「お天道様が見ていらっしゃる」として自制し、それを各家々で、実践してきたのです。教えの中で学ぶというよりも、大自然の中で体験し、感じ取って見につけてきたのが神道なのです。今はこうしたことを忘れ、神さまから遠ざかってしまいましたが、早く率直で調和を求めた本来の日本人の姿に立ち返って欲しいものです。

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通りすがるり

↑で言ってるのは「神道はキリスト教ではありません」と言ってるような物で、信仰を持った集団のひとつには違いないはずなのですよね。
その辺りってどうなのでしょう?
by 通りすがるり (2011-12-01 01:45) 

通りすがり

↑神道はその定義すら難しいってことじゃないですかね。宗教とは組織的に教義、典礼、施設とかを擁するというのが一応の定義ですが、そもそも神道という価値観念に則って今現在の日本人の価値観が作られたのかというと、それは違うように思えるからです。教条主義的、あるいは宗教観念に拠るならばクリスマスパーティーを行ったら神道じゃないということにもなりますが、そういう境界線すらあやふやであり、それに疑義を挟む人が日本人の一般的観念かというとそうでもないわけで・・・

超常的なものに畏敬の念を持つ、正直神道を宗教とカテゴライズできるとすればこの一点のみです。ですが、その観念を以って日本人の観念が画一化されたわけではないですよね。とすると自然発生した共同体意識≠宗教的観念による共同体となり、唯一の宗教と定義できる部分も消えるわけです。

前述の宗教という定義は「世界宗教事典」からの引用(というかwikiですが・・・今度ちゃんと読みます;)ですが、これらの定義もおおよそ欧米の人が書いたもののようです。往々にしてあることなのですが、欧米の人の道徳などの観念は殆どの場合キリスト教などの教条的な一神教に依拠しています。それ故道徳心が自然発生するという観念や遵法精神を自然と重視する日本人を理解出来ないということなのでしょう。何とかして自分たちの価値観念に当てはめるための窮余の一策といったところかもしれません。

無宗教、だけど神を感じる、不思議です。
でもそれが日本人なのだと思います。
そして私はそんな日本が好きですね。
by 通りすがり (2013-10-25 05:13) 

すすき

このコメントが記載されるか分かりませんが、著名なイスラエル人で、好日かつ友人の在る方は、八百万もいる日本の神は、数が800万と言うのではなく、八と言う文字が筒抜けの文字であるように無限を表し、神は何処にでも居られると言う意味で、神を”ヤー”と呼ぶイスラエル人の神、唯一神のヤーウエと同じと仰ってます。イスラエルを含むシルクロードを7回旅してますが、太古の大和国に平安(シャローム、エルサレム)を求めやってきた、私たちの先祖(30~50%の日本人のDNAが証明する)を、神社や、参拝・恒例行事に見出します。玉砂利を歩き、神を仰ぐときの安堵感は、日本人ならではの事と感謝してます。
by すすき (2015-11-08 01:56) 

小林

確かに神道は宗教ではないですね。思うに、神道は教祖・経典が無いという点から、色々な面において「自ら気づく」という事を促している。自然の中に神を見出し、己を見つめ、傍若無人な行動を慎む。善とは、人から教えられるものではなく、己から湧き出るもの。まるで宗教とは違う。そういった考えを持つ精神。神道のある日本はある意味で特別なのかなと思います。精神の乱れてきた昨今。日本は今一度、「そこ」に立ち戻る必要があるのではないかと思います。
by 小林 (2016-03-28 10:58) 

通りすがり

(宗教団体の定義)
第二条  この法律において「宗教団体」とは
、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を
教化育成することを主たる目的とする左に
掲げる団体をいう。
一  礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体
二  前号に掲げる団体を包括する教派、宗派、教団、教会、修道会、司教区その他これらに類する団体

神道は信者を強化育成しないもののこの定義に
ほぼあてはまり明らかな宗教です。

by 通りすがり (2016-10-25 10:07) 

森田必勝@楯の会


『宗教法人法』は昭和26年4月3日施行です。

GHQが「神道指令」を発した5年後ですので。

神道を厳密に宗教足らしめんとの目的で、
つまり、日本国憲法が補強して。
また、日本国憲法を補強する目的で施行されたのは明らかです。

◇我が国本来の『国家神道』は、宗教ではありません。

◆GHQ(アメリカ)に下賜された、
戦後の、現在の『神社神道』は、
明らかな宗教です。

我が国の、
國體の根本を成す【日本国憲法】が、
アメリカ製である事は、

最早、周知の事実です。


by 森田必勝@楯の会 (2017-02-13 18:40) 

相模

この文では「神道は宗教ではない」と言っているのではなくて「神道はアブラハムの宗教」ではないとか仏教ではないと言っているにすぎませんね。「神道は教祖・経典が無い」という点をその根拠としている時点で、世界に数多くある宗教のうちメジャーなものと対比して「ここがメジャーな宗教と違うから宗教じゃない」と言っているだけです。
宗教とは人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念と、それを信ずる信仰や施設や組織を有するものです。こんなことは全世界の古今東西幅広い宗教について学べば明らかなことです。このブログはメジャーな宗教しか見ていない、視野の狭い議論を展開していて全く的を射てないですね。無知無学です。もう少し幅広く宗教について勉強してみてはいかがでしょうか。コメント欄で「宗教ではない」と納得してしまっている方も同じですよ。
by 相模 (2018-06-23 02:14) 

小学3年生

ひとを無知無学っていうひとほど無知無学だって先生が言ってたよ。
否定からひとを判断するようなひとは信じちゃダメだって。
ボクは先生を信じたいけど、学校も宗教なのかな?
宗教って難しいや。

by 小学3年生 (2018-09-01 03:03) 

通りすがり

神社本庁という宗教法人に加盟しているのに
「宗教ではありません」って矛盾していないですか?

by 通りすがり (2019-01-14 01:41) 

氏丸

個人的には、神道は宗教であっても良いと思っています。明治以前は多くの神社が仏教と習合していました。現在宮司の何割かは明治初期は住職であったようです。神社の中に神職と住職が共存していた神社は数多くあります。ならば明治以降は宗教で無くなったと言うのが正しいのでは無いでしょうか。
神社は皇室の弥栄と私たちの幸福を祈る場所であるということは、立派な宗教なのではないでしょうか。
by 氏丸 (2019-01-29 12:03) 

地球外生命体

通りすがりさんって、頭悪いですね。
by 地球外生命体 (2019-04-27 22:22) 

日本人

神道本来は宗教ではなく、人々の信仰だったはずです。それが時の権力者などに利用され、宗教として扱われてきたのだと思います。神道は何も禁じていないので、神道の名を借りた宗教団体があることも事実です。(個人的には神社本庁の在り方も、信仰ではなく権力的な存在だと思います)しかしながら、太古から日本人の間で自然発生している点を見ても、本来は、日本人共通の集合意識による信仰なのだと思います。経典で学ばなくとも、全てに感謝を持って自分の思うように生きていれば、道はそこにあるというところは、全てを超越していて、宗教の先にあるものだと思います。団体で宗教を学ぶ人は、正しい答えを知りたい、間違えたくない(または間違えたことを許してほしい)という考えをしている人が少なくありません。これに対し神道は、成功も失敗も正しいも間違いも同じ道の上にあって、自分の求めるゴールのために必要な経験だという考え方です。これは教えではなく、神道の惟神の道(全ての現実を受け入れる生き方)を生きていくと気がつくことです。諸外国の著名な方々が提唱している自己啓発や経営学などにも通じるものがあります。結論として神道とは、人類の集合意識の中に存在していて、求めればそこに行き着く人類共通の価値観なのではないかと私は思います。不思議なことに、他の宗教団体は自分たちは宗教だと認めていますが、それに対し、神道を重んじる人は宗教ではなないと言い、神道を重んじない人は宗教だと言う。本人たちが違うと言うのだから違うでいいんじゃないの? きっと便宜上つけられた宗教法人という言葉の方を考え直さなければいけないのではないでしょうか?
by 日本人 (2019-05-01 13:38) 

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