大祓詞の奏上の仕方


大祓詞の奏上の仕方

6月30日の夏越の大祓の際には、午後4時からは一般の大祓詞を奏上しますが、午後8時ごろより、先祖伝来の白川流のやり方で大祓式を執行します。独特の御幣に祓戸の9柱の神さまを降神させて執りの行うのですが、残念ながら神職自身の大祓式なので、一般人はご遠慮願っています。
ここでは白川流の大祓詞というのを奏上します。神職でも見たこともない大祓詞です。年に2回しか奏上しないので、今から練習しています。これを唱えればすべての罪、穢れが祓われるという伝承がありますので、ずっと昔から花谷家では唱えられてきました。

鶴見神社では毎日、奏上する大祓詞は神社本庁のものではなく、「中臣の祓」を使用しています。これもご先祖から伝承された祝詞ですので、一般の大祓詞とは違います。

毎日毎日、理屈を考えないで、私はこの大和言葉で書かれた〔中臣の祓〕を唱え続けていますが、そうすると何か頭から理屈が抜けていくような感じがしてきています。自然の知恵というか、神さまの知恵というのが、なにかどんどん頭の中に感じられるような気がしてくるのです。これがいわゆる罪・穢れが祓われるということなのかなと、最近感じてきました。

大祓詞を唱えることによって、罪・穢れが祓われるというのは、理屈がすこしずつなくなっていくことではないだろうか。
そういえば大祓詞の「祓」という字と、「払」という字の意味とよく似ています。
この大祓詞をこれから毎日繰り返し唱え続ければ、あるいはこの理屈で凝り固まった人間社会から、買い物で現金で支払うように「払う」ができるのではないか。
もちろん人間関係やしがらみに縛られた人間社会から抜け出るということは不可能に近いことでしょうが、できるかもしれないという「希望」という「光り」を持つことができるだけでも、未来に明るさが現れてくるのではないでしょうか。

また奏上の仕方については、無我になって「あ、い、う、え、お」「ゐゑを」の一言ひとことをはっきりと発語するという、大和言葉の原点の読み方で唱えています。
これを何遍も繰り返し唱えていると、神さまがこれでもか、これでもかと、これは知恵だぞ、知恵だぞと、おっしゃっているのが分かってきます。
無我になって「たかまのはらにかむづまります すめらがむつかむろぎ かむろみのみこともちて・・・」と唱えるのが知恵なのです。
理屈や知識を持った人は「高天原はどういう意味だ。かむろぎかむろみはこういう意味だ」と訳すわけです。これではどうしようもありません。「天津祝詞」とは何か、あれこれ理屈で説明していては、そこに静けさというものは出てこない、と思います。
そうではなくて、白川流の大祓詞にはリズムがあり、リズムを言葉で表わそうというのが、大和言葉の大祓詞なのです。
大祓詞というものは昔、中臣氏が、神のこころといいますか、知恵といいますか、それを「五官」で感じて大和言葉で語ったものです。
自然の知恵は「五官」で、視覚や嗅覚で感じますが、神さまそのものの知恵はいわゆる「五官」では分からず、昔からいうリズムで、肌で感じるしか方法はありません。




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