企業内神社の精神について

 企業内神社の精神について

神社は神社という神域の中にあるものとは限りません。世界のトヨタには、本社がある愛知県豊田市に「トヨタ神社」と呼ばれる豊興(ほうこう)神社があります。ご祭神は、鉄の神さまである金山比売(かなやまひめ)、金山比古(かなやまひこ)の二柱の神さまをご祭神としています。トヨタ創業の大正14(1925) 年に建立されています。
毎年、年頭にトヨタ自動車や関連グループの首脳、幹部役員 が勢揃いして参列する前で、神職が祝詞を奏上し、参拝者全員 がトヨタの繁栄と安全を祈ります。この年頭神事は神社創建以来、 毎年行われている、と聞いております。

日本には、トヨタ同様に守り神を祀る企業が少なくありません。東京の渋谷区にある恵比寿ガーデンプレイス内(サッポロビール本社ビル横)にも小さな恵比寿神の社があります。これは明治26年、サッポロビール株式会社の前身である「日本麦酒醸造会社」が同じく兵庫県の西宮神社から事代主命を勧請して工場内に創建された企業所有の神社であります。 恵比寿ガーデンプレイスのオープンにともない、平成六年より一般公開されているようです。

 坂本龍馬の幼馴染である岩崎弥太郎が創業した三菱グループの守護神は、三菱稲荷と呼ばれる土佐稲荷神社があります。これは、江戸時代から土佐藩の敷地内に鎮座していた社を明治になってから岩崎弥太郎の所有する土地に移動させたものだそうです。

 その他に、三井グループの三囲神社(みめぐりじんじゃ)・日立製作所の熊野神社・東芝の出雲神社・出光興産の宗像神社・資生堂の成功稲荷・キッコーマンの琴平神社・東京証券取引所の兜神社などがあります。

ここで企業が守り神を持つ意味を考えてみます。これら日本を代表する世界的な大企業が、揃いも揃って、それぞれの神さまを祀っているというのは、どうした理由によるものなのか、その理由は、各企業で年頭や創立記念日などに行われる神事に奉仕すると実感できます。

社長以下、幹部が打ち揃い、なかには従業員や家族、取引先や地域の人々も参加して、会社が事故もなく安全で、しかも繁栄できますように、また従業員全員の安全と無病息災を祈願されています。
日頃は利益競争や出世レースにしのぎを削っている人々も、この日ばかりは、その会社が歩んできた歴史を振り返り、自分たちはリレー走者の一人として、先輩から企業を受け継ぎ、さらに発展させて、次世代に渡す使命があることに再認識し、 同時に一同に会した人々が力を合わせて、その使命に向かわねばならない、という決意を新たにします。それによって自らの姿勢を正し、明日への行動のエネルギーが生まれてくる、ということに意義があるように思えます。

鶴見神社の氏子区域でも企業内神社を持っておられる会社が多くあります。そのほとんどが一年の念頭である仕事始めにお祭りを行います。少ないのですが2月の初午の際にお祭りをされる会社もあります。
こうして年に一度は、自分が企業という共同体の一員であることを自覚し、会社全体に対する責任と使命感を再確認するために、各企業では守護神を戴き、神事を執り行います。それは深い意味での社員教育となっているはずです。

福井県敦賀市の日本原子力発電・敦賀発電所には、神棚が設けられ、地元の常宮 (つねのみや)神社の神札が祀られています。毎年6月末には幹部関係者が参列して安全と繁栄を祈る「安全祈願祭」が行われています。美浜町の関西電力・美浜原子力発電所には丹生(にう) 稲荷神社があります。新潟県柏崎市と刈羽村をまたぐ東京電力の柏崎刈羽原子力発電所では、7基の各発電機に神棚が設置され、伊勢神宮の天照大神が祀られています。

ロケット発射場で有名な種子島も打ち上げの際に、安全祈願祭が執行されています。各航空会社では、新鋭ジェット旅客機の導入にあたって、神職 に来て貰って、機体を祓い清め、安全を祈ります。パイロットたち は、航空安全を祈って神社に参拝し、操縦席に神札を貼っているそうです。
 そう言えば、私も地下鉄開通式の神事の際に、地下に祭壇を設けてレールの締結式を経験しております。

 私は、どんなにハイテクの設備を使っていても、それを使うのは人間であると思っています。 その人間が一年の念頭の際に祈りを通じて心を新たにして、安全運転に取り組むことを自覚します。 原子力発電所から、空や海の安全まで、 現代のハイテク社会はこうした「祈り」に支えられている、と言えるのではないでしょうか。

 私は神道の精神の中に「生み」・「作り」・「生かす」という「むすび」の信仰があると思います。天照御大神も、八百万の神さまも、そして皇居内の田んぼで天皇さまも、農業をされています。農業に従事されている人と同じく、豊かな秋の収穫を目指されておられるわけですから、この「神人共働」の神道的意識 は、売上げや利益に関わりなく、物づくり、生産そのものが尊いのだ、という信念を感じます。

 古代中国でも、漢字の「労」は「苦労して働く」という意味 のほかに、「疲労」や「心労」などの意味をもっています。つまり労働とは、すなわち苦労や疲労、心労が付いて離れない、という考え方があるのです。

労働とは生きていくための苦行である、と考えますと、お金さえ手に入れば、苦労して働く必要などない、という事になります。地道に働くより、一攫千金の投機に乗り出した方が利口であるとか、すばやく稼いで楽になろうとか、という考え方は日本人の持っている感性ではありません。

 それに対して労働自体が尊いという日本古来の考え方では、工場の作業者は現場で地道に技能を磨き、商店主は商品の仕入れや並べ方に工夫をこらし、一財産をなした企業のオーナーでも、熱心に技術革新に取り組む姿勢が見られます。一人一人のこうした働きが高 度な産業社会を発展させる原動力となると思います。

 幕末に日本を訪れたペリーの一行は、日本の物づくりの技術力に驚嘆して、開国後の「日本は将来きっと機構製品の覇権争いで強力な競争国の一つとなるだろう」と正確な予言をしたことは有名ですが、労働と技術を尊ぶ神代からの伝統が大きく影響していると思います。

「大祓詞」の天つ神とは農耕を妨害する行為であります。また、生剥(いきはぎ)・逆剥(さかはぎ)・糞戸(くそえ)には耕作者が不浄つまり不衛生な環境をもたらすことが、天つ罪であります。現代風に言えば生み」・「作り」・「生かす」という行為に反することになると思います。これも現代風にいえば「不良品」・「故障の多い欠陥品」は「ケガレ」だといえます。
 「不良品」・「欠陥品」を生産することは、神様の手足を引っ張る罪悪であるという事になります。〔完成品〕には「苦労して働いた」人の「むすび」の力が宿っております。
不良品を出すことに罪悪感を覚えて、製品にわずかなキズや欠陥があっても恥と感ずる日本人の感性が復活しますと、再び日本人の持つ技術力は世界一となります。
それゆえに「不良品ゼロ」・ 「欠陥品ゼロ」・「故障ゼロ品」を目指して、あくなき努力を続ける事が経済再生の根幹だと思います。


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