日本は無条件降伏をしていない。


日本は無条件降伏をしていない。

第2次大戦が終わる昭和20(1945)年の7月17日、米国のトルーマン大統領、英国のチャーチル首相、ソ連のスターリン首相の3首脳がドイツ・ベルリン郊外のポツダムに集い、半月余り会談を続けたのが「ポツダム会談」です。もちろん主たるテーマは、欧州の戦後処理でした。しかし徹底抗戦を続ける日本への対応と第二次世界大戦の戦後処理について話し合われました。ポツダム宣言は、この会談の期間中、米国、英国と中華民国の3カ国首脳の共同声明として発表されたものです。


日本はこの「ポツダム宣言」を受諾し、「有条件降伏」しました。決して「無条件降伏」ではありません。「ポツダ ム宣言」の第5項にはこう書いてあります。

Following are our terms

「吾等の条件は左の如し」と明記されています。ここで言う吾等とは第1項にある米国、英国と中華民国の3カ国の代表のことを指します。つまり「ポツダム宣言」は左に掲げる条件を提示するので速やかに日本は降伏しなさいという「降伏勧告」であり、本来は「休戦勧告」でした。「条件付降伏」とは、もし条件が履行されない場合、戦争の再開も有り得るので「条件付休戦」と同義です。その条件というのが、第6項から13項において示されているのです。

では一体、歴史的な史料をみても「有条件降伏」ということが、「ポツダム宣言」の中に示されているにもかかわらず、なぜ日本の降伏が「無条件降伏」として理解されるようになったのであろうか、という問題が発生します。
「ポツダム宣言」には、戦勝国といえども、条件に提示した以外の事は行わないと明記してあります。その条件の一つが「日本国政府は直ちに全日本軍の無条件降伏を宣言」つまり「日本国軍隊」を無条件で武装解除せよ、という事であり、「日本国政府」が「無条件降伏」を受け入れた訳では有りません。歴史的に考えましても、日本の降伏が「有条件降伏」であったということを如実に示していると思います。
もう一度言います。この場合の「無条件降伏」の主語は日本国軍隊であって、決して日本国政府ではないということです。

昭和20年9月2日、米艦ミズーリ号での調印式では国際法上「休戦協定(条件付降伏)」である文書を「降伏文書」と連合国は名付けました。交渉過程を無視して「休戦」を「降伏」にすり替えたのです。更に同年9月6日米国政府は通達発表で「我々と日本との関係は、契約基礎の上に立っているので無く、無条件降伏を基礎とするものである」と米国は正式に締結した国際条約を平然と反故にしました。

外務省条約局長は反論しました。「無条件降伏でなく有条件降伏だ」と国会で指摘した所、マッカーサー元帥が激怒し、左遷されてしまいました。特に、ポツダム宣言の第十条の「言論の自由」という条件を、米軍は全く無視し、日本人が、気がつかないよう強力な言論統制を行ない、国際法違反の東京裁判と、米国製憲法を、日本に強制的に押しつけていったのです。


日本人の多くは、日本は大東亜戦争に敗れ、連合国に「無条件降伏」したと信じています。確かに、あれだけ原子爆弾と無差別空襲で徹底的に叩きのめされたのですから、日本が「無条件降伏」したと考えられても仕方がありません。
 しかし、厳密に「ポツダム宣言」を読むなら、日本は決して「無条件降伏」したのではないことが明らかです。

 ただ言えることは、「無条件降伏」するのは、あくまでも軍隊であって日本国政府ではありません。日本国政府は無条件に連合国の支配を受け、連合国に従属するものではないのですが、マッカーサー元帥の強硬な態度と強力な言論統制により、当時の政府が軍隊と混同したところに、このような間違いが生じたといえる、と思います。

常に私が言いたいのは、日本国憲法そのものと憲法九条を受け入れている日本人の心が「無条件降伏」だと、言うことです。

もう一つ言いたいのは、「ポツダム宣言」の裏には、当時の日本人が知らなかった秘密協定があったことです。それは「ヤルタ協定」というものです。
昭和20(1945)年2月、ソ連領クリミア半島のヤルタで開催された米・英・ソ連三国の首脳会談がありました。いわゆる「ヤルタ会談」です。

その場において協議され、そして締結されたのがソ連の対日参戦に関する秘密協定でした。その骨子は、ドイツ第三帝国降伏後2ヶ月ないし3ヶ月後に、ソ連が対日参戦する事、その見返りとして日本領である南樺太(サハリン)の返還と、千島列島のソ連への引き渡しを決定したのです。その結果、昭和20年4月5日、翌年期限切れとなる日ソ中立条約(日ソ不可侵条約)をソ連は延長しないことを日本に通達してきました。この条約は昭和21年まで有効な条約でした。
この秘密協定、通称ヤルタ協定に基づき、ソ連は日ソ中立条約(日ソ不可侵条約)を一方的に破り、昭和20年8月8日、対日参戦し、北方領土と南樺太を占領しました。

戦後、日ソ国交回復交渉の席上、日本側が、歯舞諸島・色丹島・国後島・択捉(島からなる南千島諸島、 いわゆる「北方領土」の返還を要求しましたが、ソ連側は本協定を法的根拠として拒絶しており現在に至っています。従って、ソ連の日ソ中立条約を一方的破棄と対日参戦し、さら日本固有の領土である南樺太及び千島全島の占領は、侵略行為であり、蛮行といえます。決して日本人が忘れてはならないことだと思います。


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