上代語の「恋ひ」について
上代語の「恋ひ」について
『万葉集』の相聞歌に、中臣女郎(なかとみのいらつめ)が大伴家持に贈った、次のような歌があります。
直(ただ)に逢ひて 見てばのみこそ たまきはる 命に向ふ 我が恋やまめ (4678)
直相而 見而者耳社 霊剋 命向 吾戀止眼
お便りだけでなく、あなたにじかに逢えたその時こそ、命をかけた私の恋心も安らぐでしょう、という意味であります。
「命に向ふ恋」とは、諸説は多くありますが、私は、中臣女郎の自身の生命力の 根源である「いのち」に相対して、それを苦しめている恋心である、と考えています。「いのち」が人を生かしめている不可思議な力である、とすればこそ、それをすら苦しめる恋心の強さが感じ取れます。
「たまきはる」とは何か。「たま」とは霊魂です。現代では「たま」といえば「玉」「球」のようにボールのような意味になっていますね。「きはる」 は「きわめる」の古語「きはむ」で、極限(きは)を求めることを意味しています。わが魂の根源にある「いのち」、それが「たまきはるいのち」だと考えられます。
中臣女郎の「命に向かうわが恋」を「命を賭けた恋」とする解釈もできますが、 それでは「成就しなければ命を捨てよう」という、迷いも苦しみもない短絡的な生き方となってしまいます。「魂の根源にある生きる力を苦しめている恋」に比べれば、極めて平凡な人間観になってしまいます。
「恋い」とは、「魂乞(たまご)い」であり、恋人の魂を乞うことだ、といわれたのが国文学者で歌人であった折口信夫の説です。しかし大和言葉では「恋い」と「乞い」は、古代の発音は多少異なっています。しかしながら、「恋い」も「乞い」わずかな意味の違いを持つ仲間語だとも言えます。 大和言葉では「乞ふ」とは離ればなれとなっている恋人同士が、互いの魂を 呼び合うことだったのです。魂の結合こそが、恋の成就だったのですが、それがなかなか実現しない切なさこそが「恋ひ」だったのです。
そう考えれば、中臣女郎の「わが恋(やま)め」(吾戀止眼)」とは、中臣女郎が大伴家持の魂を乞う思いが、ようやく止まるだろう、という切なさが伝わってきます。
「恋ふ」と同様な言葉に「思ふ」があります。現代語でも「あの人を思っている」と言いいます。「おもふ」の「おも」は、「重い」の 「おも」であり、心の中に重いものを感じとることが「思ふ」の意味です。「あの人を思ふ」「国の行く末を思ふ」とは、大切なものの重みを心の中に感じながら、あれこれと憂い考えることであり、「恋ふ」とは次元の違いを感じます。
『万葉集』の相聞歌に、中臣女郎(なかとみのいらつめ)が大伴家持に贈った、次のような歌があります。
直(ただ)に逢ひて 見てばのみこそ たまきはる 命に向ふ 我が恋やまめ (4678)
直相而 見而者耳社 霊剋 命向 吾戀止眼
お便りだけでなく、あなたにじかに逢えたその時こそ、命をかけた私の恋心も安らぐでしょう、という意味であります。
「命に向ふ恋」とは、諸説は多くありますが、私は、中臣女郎の自身の生命力の 根源である「いのち」に相対して、それを苦しめている恋心である、と考えています。「いのち」が人を生かしめている不可思議な力である、とすればこそ、それをすら苦しめる恋心の強さが感じ取れます。
「たまきはる」とは何か。「たま」とは霊魂です。現代では「たま」といえば「玉」「球」のようにボールのような意味になっていますね。「きはる」 は「きわめる」の古語「きはむ」で、極限(きは)を求めることを意味しています。わが魂の根源にある「いのち」、それが「たまきはるいのち」だと考えられます。
中臣女郎の「命に向かうわが恋」を「命を賭けた恋」とする解釈もできますが、 それでは「成就しなければ命を捨てよう」という、迷いも苦しみもない短絡的な生き方となってしまいます。「魂の根源にある生きる力を苦しめている恋」に比べれば、極めて平凡な人間観になってしまいます。
「恋い」とは、「魂乞(たまご)い」であり、恋人の魂を乞うことだ、といわれたのが国文学者で歌人であった折口信夫の説です。しかし大和言葉では「恋い」と「乞い」は、古代の発音は多少異なっています。しかしながら、「恋い」も「乞い」わずかな意味の違いを持つ仲間語だとも言えます。 大和言葉では「乞ふ」とは離ればなれとなっている恋人同士が、互いの魂を 呼び合うことだったのです。魂の結合こそが、恋の成就だったのですが、それがなかなか実現しない切なさこそが「恋ひ」だったのです。
そう考えれば、中臣女郎の「わが恋(やま)め」(吾戀止眼)」とは、中臣女郎が大伴家持の魂を乞う思いが、ようやく止まるだろう、という切なさが伝わってきます。
「恋ふ」と同様な言葉に「思ふ」があります。現代語でも「あの人を思っている」と言いいます。「おもふ」の「おも」は、「重い」の 「おも」であり、心の中に重いものを感じとることが「思ふ」の意味です。「あの人を思ふ」「国の行く末を思ふ」とは、大切なものの重みを心の中に感じながら、あれこれと憂い考えることであり、「恋ふ」とは次元の違いを感じます。
2010-09-17 08:49
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