〔塩〕について

〔塩〕について
師走の恒例行事であります「稲蓬莱」もほとんど配り終え、一段落が付いてほっとしているところです。ブログもなかなか書けなかったのも師走の忙しさによります。各会社や飲食店・氏子の家など「稲蓬莱」を配りますと、宮司さんが「稲」を持ってこられたら、もうお正月を迎えるのか、という気持ちになるそうです。

ところで飲食店などに「稲蓬莱」を配りに行きますと、玄関に清めの塩が左右に置かれています。塩は大和言葉で「しいほ」になります。「しい」とは「息」のことで、「ほ」は「火」のことです。つまり「しいほ」とは「息をしている命の火」という意味になります。「塩」がなければ人間は生きて行けません。もちろん、上代において「塩」は貴重品で生存に不可欠な物です。岩塩層や鹹湖(かんこ:濃塩湖)などの資源を持たない上代の人々は海産物を干物にして間接的に摂取するか又は海水から採取する以外に方法がありませんでした。

「万葉集」巻7・1246の作者不明の歌に

志賀(しか)の海女(あま)は、藻(め)刈(か)り塩(しほ)焼き、暇(いとま)なみ、櫛笥(くしげ)の小櫛(をぐし)、取りも見なくに

志賀の海女は、藻を刈ったり塩を焼いたりで、暇が無いので、櫛笥の櫛を手にとって見ることもありません。毎日いそがしく立ち働いている当時の女性の様子が分かります。櫛笥とは、櫛や鏡を入れる箱で化粧箱です。

ところで塩による清めとは、葬儀の際、会葬者に配られる清め塩のことかと思われますが、この他、力士が土俵上で撒く塩や、料理店の店先などに盛られる盛り塩にも同様に、清めの意味があると言われております。
 
清めに塩を用いることは、日本の宗教的習俗であり、海水を意味する「潮」とも通じて様々な風習があります。古くは記紀神話に、黄泉の国より戻った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が自らの体に付いた黄泉国の穢れを祓うため、海水にて禊祓(みそぎはらい)をおこなったことが記されています。
 
このことが民間においては「潮(塩)碧離(しおごり)」といって海水を浴びて身を清めたり、海水を沸かした「塩湯」が病気治療や無病息災のために用いられるといった風習に繋がっていきました。これも塩が持っている優れた浄化力や殺菌力を周知していたためです。
 
現在神社の祭りにおける祓いでも、塩水によるお清めを行う塩湯(えんとう)が用いられるのも、こうした信仰に基づき、非日常と日常とを別ける清めの行為を象徴的におこなうものといえます。
 塩の持つ力に祓ひの願いを託すことは、我々の祖先から受け継がれてきた英知によるのです。


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