「万葉集」と相撲

「万葉集」と相撲
「万葉集」には「相撲を取る歌」はありません。ただ相撲使の役人の短歌があります。大伴君熊凝(くまごり)が某国司(それのくにのつかさ)官位姓名の従者(ともびと)となり、諸国から力士を選別して都に上る途中、都へ向かました。ところが天命であろうか、不幸にも途上病にかかり、そのまま安藝国佐伯郡(さへきのこほり)高庭(たかには)の駅家(うまや)で身故(みまか)ったのです。18歳の若さでした。大伴熊凝が急病で亡くなりそれを悼んで、本人になり代わって詠った歌が伝えられています。これは相撲史を知るうえでの貴重な記録です。

出でて行きし 日を数へつつ 今日今日と 我を待たすらむ 父母らはも
  
                            巻5の890 山上憶良

解釈しますと、私が出発した日を、もう何日経ったかと数えながら、今日こそはと私の帰りを待っておられるであろう父母よ、という意味です。

ただ、山上憶良の子を思う親の心でこの歌を詠んでいます。そのことから私なりの解釈をします。私の老いた両親が故郷の家で、私の帰りを待って1日を過ごしています。私が死んでしまって、心を傷ませる結果となって、恨めしい。私を待ち望んで空しく時を過ごしたなら、必ずや心も闇に泣き暮れることでしょう。哀しいことです。わが父。痛ましいことです。わが母。一人の死出の途は悲しくないが、両親が存命のまま苦しむのが悲しいことです。

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