近鉄電車の車体に感動

近鉄電車の車体に感動
昨日の午後6時、奈良県郡山市平端駅の近辺で懇親会があり、お招きいただきました。大阪の近鉄鶴橋駅で奈良市行きの急行電車を待っていたところ、到着した電車を見て驚きました。何と電車の車体に奈良に関係ある「万葉集」の歌が描いてあったのです。大変に感動させてもらいました。さすが近鉄、日本一の私鉄だと思いました。

「万葉集」の短歌4500余首歌の中で、平城京・明日香・橿原・石上・吉野・藤原京・平群・山の辺の道・龍田などのように、奈良県下の地名が詠み込まれ、あるいはその地で詠まれたと考えられる歌が約900首もあります。奈良市内だけでも約200首を数えることができます。

その中で特に有名なのは「万葉集」巻3・328、小野老(おののおゆ)の歌です。小野老は大宰府から平城京に戻ったときに、帰京の喜びを感動的に詠み上げました。
  
あをによし 奈良の都は咲く花の にほふがごとく 今盛りなり

小野老は遣隋使小野妹子の孫です。遣新羅使の小野毛人(おののえみし)の子、遣唐使小野石根(おののいわね)の父です。解釈しなくとも、この短歌は詠むだけで理解できます。首都である奈良から、当時の田舎の九州の太宰府(だざいふ)の転勤は、左遷のように感じたのでしょう。

小野老は大変なショックを受けて太宰府へ行ったのでしょう。無事、勤務地から奈良の都に帰宅した時、奈良の都は大きいし、その美しさを咲く桜の花に見立てた歌です。私は常にこの歌を紹介するとき、本店勤務から田舎の支店に飛ばされ、再び本店勤務になった心境を理解すれば、この歌のよさが感じることができる、と説明しています。

私が好きな短歌は「万葉集」巻15・3602の遣新羅使の、「所につきて誦詠(うた)へる古き歌」です。

あをによし、奈良の都に、たなびける、天の白雲(しらくも)、見れど飽かぬかも

意味は奈良の都にたなびく白い雲を、ずっと見ていても見飽きないものだなあ・・というものです。

当時の奈良の朝廷から朝鮮半島の新羅に派遣された外交使節があります。それを遣新羅使(けんしらぎし)といいます。天平8年(736),阿部朝臣継麻呂(あべのあそんつぐまろ)を使節団代表として新羅へ派遣されました。遣新羅使の一行のひとりが詠んだ歌です。作者不明です。

「万葉集」巻15は、新羅に遣わされた遣新羅使の人たちの歌が多く有ります。それは当時、日本と新羅は緊張状態にあったからではないでしょうか。作者は栄える奈良の都をほめていますが、家人との別れをなげき、新羅との外交関係を思うと、胸が痛くなる思いがあったのでしょう。

当時、難波津から瀬戸内海へ向い、西へ西へと幾日も危険な船旅です。それを雲に寄せています。上代人には雲に寄せて人を偲ぶ、というのがあったのです。上記の「白雲」を愛する人の姿ということにすれば、「見れば飽きぬかも」の意味が理解できますね。危険な旅路の中で、美しい奈良の都に無事に帰りたい思いと別れてきた彼女への思いが伝わってくる短歌です。そこに私が好きな理由があるのです。

 










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