葵祭に参列して

葵祭に参列して
昨日、5月15日の日曜日・仏滅ということもあり、鶴見神社においては宮詣・厄祓がありませんでした。時間に余裕ができ、久しぶりに京都の下鴨神社に行き、葵祭の「社頭の儀」に参列しました。先代が戦中・戦後の一時期まで禰宜をしておりましたので下鴨神社
との関係も長きにわたっております。若い頃から先代の名代で何度も葵祭に参列していますが、今回は東北大震災で被災に遭われた90名の人たちが招待され参列されており、スーツ姿ではなく普段着のままで参列されていました。少しでも慰めになられ、ストレスが解消できればよいと思います。

ところで京都には、三大祭というのがあります。葵祭・祇園祭・時代祭のことですが、三大祭の中で最も古い祭礼は葵祭です。正式名を賀茂祭といいます。石清水八幡宮のお祭りを南祭というのに対し、北祭とも呼ばれます。

葵祭は下鴨神社と上鴨神社の祭礼で、「宮中の儀」「社頭の儀」と「路頭の儀」の三つで構成されています。現在「宮中の儀」はありません。中でも「路頭の儀」は、いわゆる斉王代行列にあたります。
 
しかし、これは葵祭の「路頭の儀」は主流ではありません。葵祭の目的は行列ではなく、神前で祭文を読み上げ、神饌や東遊びなどの舞楽を奉納する「社頭の儀」です。とはいっても、斉王代行列の総勢は約500名で、700メートルもの長さとなります。京都御所から下鴨神社、上賀茂神社の順で約8キロの道のりを平安朝の装束をまとった人々がおごそかに歩くのは、王朝絵巻を見ているようです。

今から約1400年前の欽明天皇(540~571年)の時代に、大凶作に見舞われ疫病がはやりました。天皇が占わせたところ、この災いは賀茂の神々の祟りであるというので、天皇が勅使を遣わし、祭礼を行ったのが葵祭の起源とされています。

葵の葉を飾るのは一説では、上賀茂神社の祭神「別雷神(わけいかずち)」が生まれた御形山(みあれやま)に、「葵」が生じた話からきているといわれています。

 ちなみに、葵の正式名は「ふたば葵」といい、水のきれいな所にだけ自生する植物です。長期保存が利かないため、葵祭の数日前に祭で使用する葵約1万本を一気に採集し、奉納するのだそうです。奉納は代々「葵党」と称される羽田家、瀬戸家などが行っておられます。

古来より鶴見神社の神紋も「ふたば葵」で下鴨神社との関係が深いからです。下鴨神社は正式には「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」とよびます。鴨川の下流にまつられているお社というところから「下鴨神社(しもがも)」とよばれています。東西の二殿の本殿には下記の神さまが祀られております。
 
賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)―西殿
玉依媛命  (たまよりひめのみこと)――東殿

西殿に祀られている賀茂建角身命は、賀茂氏(賀茂県主)の始祖です。「新撰姓氏録」によれば、賀茂建角身命は神魂命(かみむすびのみこと)の孫になります。賀茂建角身命は神武東征のときに、高木神・天照大神の命を受けて日向の曾の峰に天降り、大和の葛木山に至り、八咫烏(やたがらす)に化身して神武天皇を先導したと「日本書紀」に記載があります。賀茂建角身命は花谷家のご先祖にあたり、従いまして花谷家は賀茂族です。

賀茂建角身命には玉依比古命と玉依比売命の2柱の子供さんがおられます。玉依比古命は後に賀茂県主となられます。東殿に祀られている玉依媛命について説明します「山城国風土記」によれば、玉依比売命が鴨川で禊をされているときに、上流より流れ来た丹塗の矢を拾われて床におかれたところ、矢は美しい男神になられ、結婚されました。

そしてお子をお生みになったと伝えられています。その子供さんが上鴨神社の祭神である賀茂別雷命です。その父親の神さまが大山咋神(おおやまくいのかみ、おほやまくひのかみ)です。大山咋神は比叡山の日吉大社のご祭神で、別名 山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)です。鶴見神社のご祭神でもあります。そのために修祓(お祓いのこと)のときの大麻(おおぬさ)は三本の矢で出来ています。これも大山咋神が丹塗の矢から出現された故事からきております。

ところで下鴨神社の境外摂社で、御蔭神社があります。ご祭神は本宮と同じく玉依姫命その父神の賀茂建角身命)です。この神社は、下鴨神社の祭神の荒御魂(あらみたま)を祈祀する特別な摂社とされています。

御蔭神社のある御生山(みあれやま)は、比叡山の南山麓の八瀬にあって「東山三十六峰」の第二番目の山になります。御生山の「御生(みあれ)」は神の誕生や降臨を意味します。御生山の御蔭神社の境内は、古来より下鴨神社の神さまが御降臨された神聖な場所と伝えられています。別名御生山は、太陽のただ射す所の意から「御蔭山」(みかげやま)とも呼ばれていす。

御蔭神社は、葵祭(賀茂祭)でも重要な役割を持っていています。葵祭に先だって、五月十二日に、御影神社から「神霊」を本宮の下鴨神社へ迎える神事が行われているのです。これが「御蔭祭(みかげまつり)」で、重要な神事です。

先代から聞きますと、御生神事は、旧暦四月の午の日に行われるそうです。御蔭山の山麓の禁足地へ行粧が到着すると、高野川に面した船繋ぎ岩(磐座)で御生神事が行われ、風俗歌を奏しながら巡る神おろしの神事があるそうです。神霊が神馬に移御するという御蔭山之儀を行うときに、神馬が暴れてなだめるのに苦労したといっておりました。神霊を神霊櫃(しんれいびつ)という小箱に中に移し山道を下ります。

その後、今では馬に変わり自動車で下鴨地域まで移動するそうです。北大路の下鴨中通から本社下鴨神社までの約一キロを巡行し、その後、下鴨神社の参道を進んで、神前で切芝神事(きりしばのしんじ)等を行い、その後、神霊を本宮に遷御する本宮の儀が行われ、五月十五日の葵祭本祭を待つこととなります。






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