世界的指揮者、小澤征爾氏の父上小澤開作について

世界的指揮者、小澤征爾氏の父上小澤開作について
小澤開作といってもその名を知る人は新尊王攘夷派以外では、ほとんど知られていません。しかしながら世界的な指揮者小澤征爾の父にあたる人物であると紹介しますと驚きの声が出ると思います。さらに小澤開作の次男はドイツ文学者・小澤俊夫であり、俊夫の子供がミュージシャンの小澤健二です。

われわれ新尊王攘夷派の人間は、指揮者の小澤征爾氏は中国の北京生まれだと知っています。小澤征爾氏は父小澤開作と母さくらとの間に出来た三男で、征爾の名前の「征」と「爾」は、満州に進出した日本陸軍の関東軍高級参謀・石原莞爾と板垣征四郎の両者の名前からそれぞれ一字をとって名づけられたのです。小澤開作氏は私たちでは、内田良平先生と交流があり天才石原莞爾将軍と同じ大アジア主義者としてかなり有名です。

私が皇學館大学の学生で国防研究会の部員であった頃のお話しです。昭和44年だったと記憶していますが、森田必勝さんから早稲田祭で「偉大なる満州帝国」というテーマーで作品展をすることになったことを聞かされました。早稲田大学国防部の部員たちが、全国各地を走り回って資料を集めたそうです。東條英機と絶えずケンカして「ケンカの小澤」として有名だった歯科医師の小澤開作氏も元気で主題に取材に応じてもらったそうです。


天才石原莞爾将軍の最終戦争論によれば、東洋的王道と西洋的覇道による最終戦争を想定し、それに勝つために日本、満州、中国が水平聯合東亜連盟を結成し欧米にあたるとしていました。石原にとって満州国も中国も大事なパートナーだったのです。当然日華事変には反対します。小澤開作氏も利権に絡む満州国に反対していました。小澤開作氏は日本人も中国人も朝鮮人も満州国籍に入れてしまい、給料も平等・役職も実力次第、すべて満州国籍の人間として平等を主張しました。

東條英機は満州国を日本の傀儡政権するのが得策と考えていたので、大アジア主義の小澤開作氏と対立していました。石原莞爾将軍と同様に小澤開作氏は満州事変後、日中戦争・日独伊三国同盟に反対し、大東亜戦争にも否定的でした。小沢開作氏という人物は満州の地にあって、植民地にされた亜細亜の国々を独立させ、亜細亜が一つになり、米国との戦争に備えなければならない、という夢を信じ、信念を持って活動した人物です。

小沢開作氏は、この満州の地で歯医者の仕事をしながらも、この地を亜細亜は一つの「理想郷」とすべく、若い日本人移民団のリーダー格として、また同時に現地の満州人とも運命を共にしようとしたのである。

勘違いしないでほしいのは、「領有権」といえば、中国から奪い取った満州の地ではありません。満州は満州族の故郷であり、彼らは絶えず漢人より略奪され生存権を奪われるという状況にあった土地です。孫文が黒龍会の内田良平先生に、「革命が成功した後にはあなた方に異郷の地ではあるが満州を差し上げる」という約束もありました。

満州族すなわち女真族は清王朝をつくった民族ですが、僅か200万人の少数民族です。長年圧力と屈辱的外交を続けてきた漢民族にたいして反感を持っていました。現在のチベット自治区・モンゴル自治区・新疆ウイグル自治区をみれば理解できると思います。

黒龍会の内田良平先生・玄洋社の頭山満先生の影響を受け、師と仰ぐ石原莞爾将軍に教えを受けた小澤開作氏は「五族」すなわち日本人・朝鮮人・満州人・モンゴル人・漢人が平等に仲良く暮らす独立社会を「理想郷」としたのでした。
満州国は天才石原莞爾将軍の草案によってできた国家です。石原莞爾将軍は中国国内での
戦火が拡大することを望まなかったのです。そのことは国民党の介石は理解していたと思います。それがために東京裁判では戦犯として石原莞爾将軍を起訴しなかったのです。

石原莞爾将軍には、米国をはじめ欧州との世界最終戦争の戦いに備えて力を温存して、亜細亜は一つという形式を取ろうとしたのです。小沢開作氏は、この石原莞爾将軍の「世界最終戦論」に心酔して、南満州鉄道の若手社員で結成された「満州青年連盟」と活動を共にしていたのです。

しかし軍部と財閥との癒着で利権と化した現実を小沢開作氏は見てしまうのです。小澤開作氏は東條英機と軍部・財閥を最後まで馬鹿にしていたのです。その働きの多くを人に語っておられませんが、夫人の小沢さくらさんが書いた「北京の碧い空を」(角川文庫)などによってその一端を知ることができます。


戦後のエピソードは、息子の指揮者小澤征爾氏を通じてロバート・ケネディの来日時に出会い、小澤開作氏の取った行動です。ロバート・ケネディは米国大統領ケネディの弟です。

小澤開作氏はロバート・ケネディに面会し、当時のベトナム戦争に直面した米国の危機が、自身の体験した満州の苦い経験と酷似しているので注意しなさいと建白したのです。
 
今日のベトナムの様相からすれば、この政策実施を政府官僚にゆだね一片の政令を以てしては、金も物資も人民の手に届くまでに中途で消え失せてしまう可能性がある。(中略)事態をよく理解し、真に人民を愛し、人民と共に苦楽をともにしうる奉仕的人物を米国はベトナムの指導者に選び、これらの人々に委ねることが政策の正否を決める要諦である

と建白したのです。ロバート・ケネディは暗殺さえなければ、小澤開作氏米国大統領に一番近い距離にいた人物です。

小澤開作氏は昭和45年11月21日、突然に亡くなられました。その三日後、三島由紀夫先生と小澤開作氏を取材した森田必勝さんが自衛隊市谷駐屯地で自決しました。不思議な運命を感じます。私は小澤開作氏の名前は知っておりましたがお会いしたことはありません。その名前は亡くなられた坪井一夫先生から聞かされていました。



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jack

何が正義かは判断が難しいですが世界を広く深く見渡す
心を無くしてはいけませんよね。世界中が金儲けの思想で
充満しだしている今こそ。
by jack (2011-06-22 11:47) 

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