広島・長崎の原爆記念日は平和の式典ではなく、原爆による大虐殺の日

広島・長崎の原爆記念日は平和の式典ではなく、原爆による大虐殺の日
私の父親は鶴見神社の宮司として、敗戦という一番苦しい時期を経験しています。それというのも大東亜戦争は3年8ヶ月でしたが、連合国軍による日本の占領はその約1.8倍の6年8ヶ月の長期に及びました。戦争が終わったのちこれほどの長期間、占領軍が駐留して占領政策、日本を弱体化した国は、他にありません。

昭和20年8月15日、敗戦してから数ヵ月後、鶴見神社の北側にありました椿本チエインの工場にGHQが進駐してきました。General Headquartersの頭字語であるGHQと略して連合国総司令部、通称、米軍を主体とした占領軍がやって来たのでした。およそ6年間、昭和27年の初頭まで駐留していました。

父親は大の反米・反露愛国主義者でした。それというのも「降伏後における米国の初期対日方針」(昭和20年9月22日)には「日本国が再び米国の脅威となり又は世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」と明記され、日本弱体化政策を目的とする政策が行われたからです。日本国憲法の制定や東京裁判など米国の卑劣なやり方に憤りを感じていました。

昭和20年8月6日の広島市への原子爆弾投下では、当時の広島市の人口35万人のうち9万~16万6千人が被爆から2~4カ月以内に死亡したとされています。8月9日の原子爆弾でf長崎市の人口24万人のうち約14万9千人が死亡しました。無差別殺人でした。この事実を隠すために米軍は昭和12年の南京大虐殺を東京裁判ででっち上げたのです。中国軍に従軍していた「ニューヨーク・タイムズ」のティルマン・ダーディン通信員は、上海から南京へ向かう途中に日本軍による捕虜や民間人の殺害や略奪を目撃したことはないし、聞いたこともないという証言をしています。

ティルマン・ダーディン氏は、「文藝春秋」(1989年10月号)のインタビュー記事にて、「(上海から南京へ向かう途中に日本軍が捕虜や民間人を殺害していたことは)それはありませんでした。」と証言しています。以上のことから父親は、米国を信じられなかったのです。母親は英語ができた人でした。占領軍に南京虐殺があったのかを聞いていましたが、将校の連中でさえ全く知らなかったことを生前に語っていました。

私の父親は鶴見神社の宮司でありながら、大阪府日中友好協会・日本中国友好協会の幹部として、日中国交正常化に努力しました。当時、神職が日中国交正常化を進めること自体、考えられない時代でした。それというのも戦前から父親は神職として神社に勤めながら、鍼灸師の免許を取得していました。昼は神社で夜は鍼灸院を開業し働いていたからです。そのため中国の東北地方の鍼灸師と密接な交流していたのです。父親は宮崎滔天先生を尊敬し大アジア主義で孫文先生・魯迅先生・毛沢東出席を尊敬していました。戦後、中国は近くで遠い存在をいつも嘆いていました。

はっきりと言って父親は私に、「日中友好の原点は、素直に日本軍が中国大陸に侵略した事実を心からお詫びすることから始まる。日本と中国は、戦後処理に関するきちんとした話し合い、戦争責任について日本が心から謝れば、中国人はそれ以上追及しようと思っている人はそれほどいないはずだ」と言っておりました。逆に米国・ロシアは仲良く付き合うな、と言い切ったほど嫌っていました。

意外に思われるかもしれませんが、かつては日本共産党も「愛国」という事を言っていた。日本共産党の不破哲三も「新日本共産党宣言」(光文社)で、不破氏は「日本が大好きです」と言って、文末の日付を元号で記しています。また、浅間山荘事件で知られる極左の連合赤軍に合流した、京浜安保共闘のスローガンは「反米愛国」でした。父親は「天皇陛下万歳と言えば我々は共闘できる」といっていたのです。

私が新右翼の武闘派として活動していたとき、父親から「反米・反露愛国は理解できる。玄洋社の頭山満先生も黒龍会の内田良平先生も孫文先生の辛亥革命を援助し、ガンジーやネールのインド独立を支持した宮崎滔天先生も対華21ヶ条要求に反対していたのであるから、大アジア主義の親中派の新右翼になれ」といわれたものでした。20歳になったころ大阪府日中友好協会に入会させられ、62歳の今日まで会員となっています。

そして父親は「米軍の投下した広島・長崎の原爆記念日を平和の式典にしていること自体、米国の日本弱体化政策の一環であることを覚えておきなさい。反中を叫ぶ前に歴史を学べば理解できるが、日中の間には悠久の歴史があり、日本建国以来明治維新まで、どれほど日中と戦争した歴史があるのか、米国はペリー来航以来、日本に対してどれほど屈辱的な外交を行ってきたのか比較すればよい。広島・長崎の原爆記念日は平和の式典ではなく、原爆による大虐殺の日、として明記すべき歴史的事項である」と言っておりました。

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