「米座」と「金座」について

「米座」と「金座」について
今年、平成25年10月に第62回式年遷宮が執行されます。天照大御神様が本殿から新殿へとお遷りになる遷宮祭の中核をなす祭儀を遷御(せんぎょ)と言います。100名を超える奉仕員は、「召立」にしたがって御装束神宝を手にして整列、天皇陛下の御定めがあった時刻(前回は午後8時)に大御神は大宮司・少宮司・禰宜に奉戴されて本殿から出御され、新殿へ入御されます。

天皇陛下にあられては遷御に際して勅使を派遣され、また出御の時刻には宮中の神嘉殿の前庭からはるかに伊勢のかたを御拝されると漏れ承ります。また前回、平成5年の第61回式年遷宮では皇族を代表し秋篠宮殿下が参列されました。

私が皇學館大学を卒業した昭和48年の10月には第60回式年遷宮が執行されました。当時21歳の紅顔可憐な美青年でした。第60回・第61回とご奉仕させていただきましたが、今年は63歳で第62回式年遷宮を迎えます。もう奉仕員に選ばれることは適いません。

ところで伊勢市に住んでいましたときに、古老から神宮には「金座」(かねざ・かねくら)と「米座」(こめざ・こめくら)があり、東の御敷地を「米座」、西の御敷地を金座(かねざ・かねくら)と言うと聞かされていました。また東の御敷地「米座」に神様がおられるときは、心豊かな「精神の時代」、西の御敷地「金座」に神様がおられるときは「経済の時代」ではありますが、世界中に戦乱がある時代だと聞かされていました。
 
これはそんなに昔からいわれたことではないだろうと思い、歴史を紐解きました。幕末からの見ますと、西の「金座」に天照大御神様が鎮まっておられました。嘉永2年から明治2年(1849年~1869年)までの時代でした。そのときは日本は激動の時代でした。黒船の来航や戌辰戦争、明治維新がありました。

明治2年から明治22年(1869年から1889年)まで「東」に遷られ「米座」に鎮まられますと、富国強兵策時代でしたが、文明開化で近代化への発展期となりました。明治22年から明治42年(1889年~1909年)までは「西」の「金座」に鎮まれますと、日清戦争・日露戦争がありました。

明治42年~昭和4年(1909年~1929年)は「東」の「米座」に遷御されました。この時代、第1次世界大戦や関東大震災がありました。しかし比較的国内は平和で大正ロマンを謳歌する時代でした。昭和4年から昭和28年(1929年~1953で年)の遷御、「西」の「金座」に遷御になりました。本来ならば昭和24年に遷御があるのですが、大東亜戦争の敗戦の混乱で4年延期されての遷御でした。この時代、満州事変・日華事変・大東亜戦争、国内では5.15事件・2.26事変など激動の時代でした。

昭和28年~昭和48年(1953年~1973年)までは「東」の「米座」に遷御されてから、不思議なことに日本は高度経済成長期を迎えました。昭和48年~平成5年(1973年~1993年)の遷御では「西」の「金座」に遷り、昭和58年までの前半は石油ショック、平成5年までの後半には、中東湾岸戦争やソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊がありましたが、しかしこの間、日本は、異常なバブル景気とその後の不況に突入してしまいました。

平成5年~平成25年(1993年~2013年)までは「東」に「米座」に遷りましたが、出口の見えないデフレ不況が10年も続いています。また竹島問題・尖閣諸島問題など韓国や中国との間に、軍事衝突も想定した外交問題となっています。そして平成7年の阪神淡路大震災・平成23年の東日本大震災が起き多数の人たちが被災し亡くなられました。アラブ諸国や新興国の民主化、ギリシャ・スペインなどのEU圏の信用不安で世界経済が悪化しました。

今年の平成25年10月~平成45年(2013年~2033年)の「西」への「金座」の遷御では、国内はどのような状態になるのか、尖閣問題や竹島問題・北方領土問題はどのように決着するのか、予想は出来ません。しかしながら日本は神の国ですから、混沌から秩序へと、良い方向に日本国が進むように当社でお祈りをしています。  







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