瀧原宮、瀧原竝宮について

瀧原宮、瀧原竝宮について
「お伊勢さん」「大神宮さん」と親しまれる伊勢の神宮は、ただ「神宮」というのが正式な称号です。お伊勢さんは、天照大御神をお祭りする皇大神宮(内宮)と豊受大御神をお祭りする豊受大神宮(外宮)を御正宮として、十四の別宮(べつぐう)と百九の摂社(せっしゃ)、末社、所管社、合わせて百二十五の宮社から成り立っています。

別宮は御正宮とかかわりの深い神を祭る格の高いお宮で、二十年ごとに行われる式年遷宮も御正宮に続いて行われます。今月の四月十五日、皇大神宮(内宮)別宮である瀧原宮・瀧原竝宮の立柱祭及び上棟祭が執りおこなはれました。この祭儀は天皇陛下の日時御治定を仰ぎ斎行されました。

瀧原宮、瀧原竝宮は、ともに皇大神宮(内宮)の別宮で、昔から「大神の遙宮(とおのみや)」といわれています。ご鎮座の地は、宮川をさかのぼること約40km、その支流大内山川が深い渓谷をなして流れる山間にあります。「瀧原」という名は、大小たくさんの滝があるところから出た名です。

由緒は第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が、御杖代(みつえしろ)として天照坐皇大御神を奉戴して、宮川下流の磯宮(いそのみや)をお発ちになり、上流の方にご鎮座の地を求めてお進みになると、砂をも流す急流の瀬があり困っておられたので、真奈胡神(まなごのかみ)がお出迎えをしてお渡し申し上げました。

そこで倭姫命はそのところに真奈胡神をまつる御瀬社(みせのやしろ)をお定めになられたのが、今の皇大神宮摂社、多岐原(たきはら)神社です。瀧原宮の下流約6km、大宮町三瀬川の宮川のほとりに鎮座されています。近年までここに熊野街道の「三瀬の渡し」がありました。

倭姫命はさらに真奈胡神の案内でお進みになると、「大河の瀧原の国」という美わしい土地があったので、この地に草木を刈り払って新宮を建てられたのが、瀧原宮の起源です。そののち皇大御神のご神意によって、再び伊勢の方へ向われました。このご由緒によってご遷幸後もかわることなく、皇大御神を奉斎して今日に至っています。

なお、両宮とも皇大御神の御魂を奉斎しているのは、皇大神宮に皇大御神を奉祀し、同別宮荒祭宮に皇大神宮の荒御魂を奉斎する姿の古い形と考えられます。平成二十六年十一月に瀧原宮、瀧原竝宮は遷御の儀が執り行われます。

瀧原宮の宮域四十四㌶は、その地勢が皇大神宮のそれと極めてよく似ていています。瀧原宮、瀧原竝宮は、あたかも皇大神宮(内宮)に参拝に来たような錯覚をおこします。後に山をひかえて南面し、すぐ前には東から西に向って流れる枝川があり、五十鈴川と同様に御手洗場があります。神域に鬱蒼と茂る杉の大森林は、皇大神宮の参道とよく似ています。

ところで私が伊勢に住んでいた頃は、高速道路がなかったので瀧原宮、瀧原竝宮まで行くのは、宮川を越えて険しい地元道で50分ぐらいかかりました。今は伊勢自動車道に入り、紀勢自動車道に乗り継ぎ、「大宮大台IC」よりR42を尾鷲方面へ約10分ほどで到着します。便利になりました。近鉄の松阪駅の近くでレンターカを仕立て行くのも便利です。参拝後は近くの道の駅で買い物をするのも楽しいことです。


滝原宮.jpg









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