お盆は神道から始まった。

お盆は神道から始まった。 
お盆にお墓参りやご先祖参りをするのは、仏教の習慣であると思っている人がほとんどであると思いますが、実は、日本の神道に古くから伝えられている「お祭り」から由来しています。

現在でも仏教の発祥地であるインドではお墓を建てる風習がありません。インドでは人が亡くなると、火葬にして遺骨を川に流します。ヒンズー教では身体は単なる物質なので死体や骨にはこだわりはなく、霊が大切なのですが霊は輪廻転生するものなのでどこかでまた生まれ変わってると考えています。

日本には古くから、春と秋に宮中で行われる、天皇さまのご先祖をお祀りする皇霊祭がおこなわれています。宮中で行われている先祖祭りが、民間に広まり、仏教の盂蘭盆会と結び付いて、お盆にはお墓参りをしましょうということになったのです。元々は、日本人の古くからの風習である神道から由来しているのです。

 それでは、神道の「みたままつり」の考え方を折口信夫先生の「盆踊り話」(青空文庫)
から記載します。

盆の祭り(仮りに祭りと言うて置く)は、世間では、死んだ聖霊を迎へて祭るものであると言うて居るが、古代に於て、死霊・生魂に区別がない日本では、盆の祭りは、謂はゞ魂を切り替へる時期であつた。即、生魂・死霊の区別なく取扱うて、魂の入れ替へをしたのであつた。生きた魂を取扱ふ生きみたまの祭りと、死霊を扱ふ死にみたまの祭りとの二つが、盆の祭りなのだ。
盆は普通、霊魂の游離する時期だと考へられて居るが、これは諾はれない事である。日本人の考へでは、魂を招き寄せる時期と言ふのがほんとうで、人間の体の中へ其魂を入れて、不要なものには、帰つて貰ふのである。此が仏教伝来の魂祭りの思想と合して、合理化せられて出来たものが、盆の聖霊会シヤウリヤウヱである。

折口先生は、古代において、「死霊」と「生魂」(生きた人の魂)とは区別が無かったのであるといわれています。また、お盆の祭りは、死んだ「霊魂」をお迎えして祭るものではなく、生きた人の「魂」を取扱う「生きみたまの祭り」と、「死霊」を扱う「死にみたまの祭り」との二つが、盆の祭りだといわれています。

「死にみたまの祭り」とは簡単に説明しますと、日本人には、人は死ぬと「霊魂」は神の元へ帰り、子孫を護る家の守護神としてお働きくださるという考えがあります。死者の「霊魂」をお迎えして「慰霊」することが「死にみたまの祭り」なのです。私は次のように考えています。亡くなった両親やご先祖の「霊魂」が一番に気にしていることはわが子や孫たちが幸福で健康であることです。

両親やご先祖の「霊魂」は、この世に残してきた子孫や家族が元気で仲良く、明るく楽しく暮らしているだろうか、不幸になっていないか、兄弟喧嘩をしていたり、家族の心がバラバラになってはいないだろうか、いつまでも幽世(かくりよ・あの世のこと)から心配してくださっている。ですから、亡くなったご先祖や両親の「霊魂「を慰霊しに心配を掛けないようにすることが「死にみたまの祭り」の意義なのです。

次に「生きみたまの祭り」とは、お盆の時期になりますと、テレビの報道から見ましても故郷に帰る人たちの民族の大移動がはじまります。子供たちが孫を連れて故郷の両親の家に帰ります。「両親」や「祖父母」に元気な姿を見せることが「生きみたまの祭り」なのです。つまり「親孝行」に帰ることが「生きみたまの祭り」なのです。

「死にみたまの祭り」と「生きみたまの祭り」はお正月とお盆で年に2回あります。この2回の「みたままつり」はご先祖や亡くなられた両親や祖父母の「霊魂」が、家族や親族が仲良く心を合わせ、交流を深めていく場として機会を与えてくださっているものだと思っています。

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