「天津永世の伝」

「天津永世の伝」
白川神道の行法の一つに「天津永世の伝」と呼ばれるものがあります。「息吹永世の伝」とも呼ばれています。これは無声の祓です。重要な神事の前に行います。神殿で先ず正座して目は半眼にして前方1mぐらいを見て、静かに鼻から息を吸い込み口から細く吹き出します。臍下丹田の呼吸法です。

一見簡単に見えますが、なかなかリズムを取るのに難しいです。白川家の門人であった井上正鐵(まさかね)は、その著「神道唯一問答書」の中で「御祓は務めやすく、永世の伝はつとめがたく候」と述べている通り彼も苦労したのでしょう。

実際に「天津永世の伝」を行う前と終わった時の血圧測定しますと血圧は下がります。「天津永世の伝」を行うと「心の禊」ができ、すかすがしい境地になり、「神気」を自覚することが出来ると伝えられています。

平成29年11月23日午前7時に「新嘗祭」を斎行しましたが、その1週間前から斎戒します。毎夜7時前後、夕拝時に「天津永世の伝」を行いました。「天津永世の伝」は無声の祓いですが、「新嘗祭」を控えているので和久産巣日神(わくむすひのかみ)」を何回も心で唱えながら呼吸法を行いました。和久産巣日神は農耕で豊穣をもたらす生産の神さまです。

新嘗祭が終了しますと、今度は三島由紀夫大人命、森田必勝大人命の野分祭を三重県四日市市で執り行わなければなりません。11月24日の夕拝から「天津永世の伝」を行いました。自決された森田さんの墓前で野分祭を斎行するのですから、呼吸法をしながら「なぞてすめろぎは人間となりたまひし」を心の中で唱えました。

そして11月25日正午、森田必勝大人命の墓前で47回目の野分祭を斎主として斎行しました。たかが墓地は一片の石ではないかと言われるかもしれません。その一片の石から歴史を変えさせるのが私の斎主としての役目です。

神戸市の湊川神社の境内にある楠木正成の墓碑があります。その墓碑が明治維新を成し遂げたのです。明治維新の成し遂げた若き志士たちの多くが楠公を敬慕したのです。楠公の「七生まで同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼさん」という最期の言葉から「死生観」を学びとったのです。

吉田松陰先生、西郷隆盛、真木和泉守、楠公の墓に参り自分たちの志を励まし勇気づけたのでした。楠公の墓碑には「神州正気の精」が鎮められているのです。

森田さんと三島先生が言いたかったことは「天皇国日本を護る」ことだと思います。そのことから「護国の鬼」として、生きても亡くなっても働けるようにと魂魄をこの世に留めてくださいと祝詞で奏上させてもらいました。
 

先生と森田必勝さんには死して死なない「神州正気の精」があります。先生の檄文を見れば分かります。
 
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない。日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。

この最期の言葉を「死ぬことによって生きかえる」ように神事で行いました。これが白川神道の真髄です。先生も森田さんも我が国の危機においてこれからも蘇ってきます。すでに蘇っておられます。森田さんの慰霊碑は一片の石からできていますが、そこには「神州正気の精」「七生報国」の「霊魂」が宿り、志を継ぐものに勇気と活力を与える場所となります。そして日本を歴史と伝統の国として復活させてくれます。

これから若き志士たちが目覚める時代です。




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