「死に場所難民」と「葬儀難民」について

「死に場所難民」と「葬儀難民」について
平成10年ごろから盛んに「少子高齢化」の社会が到来すると叫ばれてきました。それが現実となり今や「少子超高齢社会」が到来したのです。平成27年国勢調査による人口を基準とした平成29年1月20日の総務省が発表した人口推計(概算値)によりますと、平成29年年1月1日時点での我が国の全人口は1億2,686万人となりました。

我が国の人口数は、平成22年(2010)の1億2,806万人以降、年々下降しています。その一方で上昇を続けるのが高齢化率です。『平成28年版高齢社会白書』によると、平成37年(2025)には総人口が1億2,066万人となり高齢化率が30.3%、2040年には総人口が1億728万人で高齢化率が36.1%、2060年には総人8,674万人で高齢化率は39.9%になります。

思うのですが、「少子超高齢社会」と言いますが、老人たちの「多死社会」でもあるのです。平成26年(2014)の年間死亡者数は約126万人を超えており、団塊の世代が死亡する平成37年(2025)は約154万人、平成47年(2035)は約166万人となると予測されています。

今回は最期は何処で迎えるか、と言うことについて記述します。昭和50年(1975)以降、病院などの医療機関が自宅を上回るようになりました。現在では医療機関での死亡が全体の8割近くとなっています。

しかし、今後私を含めて団塊の世代の死亡者数が増加します。ベット数の増加が見込めないことから、医療機関での看取りはパンク状態になります。介護施設で最期のときを迎える人が増加することになると思います。

そのことから介護職、看護職不足が予想されています。今でも深刻な問題になっています。そのため政府は、入院患者を退院させ、自宅で最期を迎えられる在宅医療を目指す意思を明確に表明しています。老人が在宅で最期を迎えたいという要望をもっているのでそれを叶えるためではありません。超高齢化社会を迎えるにあたって、医療費の高騰を抑えるためです。

すでに病院の長期入院患者に対する診療報酬を国が低下させています。病院側としても長期入院患者では経営が苦しくなります。長期入院患者を入院させていても、これ以上治療しても良くならないという理由で追い出すという事態が起きています。

国の在宅医療ができる環境が整っていなければ今後、大きな問題となります。自宅で患者の看護、介護ができず、また高齢者施設は順番待ちという現状で病院を転々とする患者が増加しています。高齢者施設に受け入れる余裕がないという受け入れ側の収容能力に問題もあるからです。

今後、「治すこと」を目指してきた日本の医療制度を、「自宅で看取る」「介護施設で看取る」という方向に変えてゆかなければなりません。そのために全国各地の訪問看護ステーション、診療所・医院には、在宅療養支援の拡大を目指す必要があります。そして医師のさらなる増員なしには、「高齢多死社会」には対応はできません。

国や自治体が新たな施設と法整備がなければ、急増する高齢者が最期を過ごす場所が不足し、死に場所の見つからない、「死に場所難民」が予測されます。そのことから政府も2025年までに医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的に提供される地域包括ケアシステムの構築を実現しようとしています。

私は宮司でありながら境内地で鍼灸師・柔道整復師として開業しています。また学校法人森ノ宮医療学園の理事をしております。学校法人の森ノ宮医療大学には看護学科が併設されており、終末期に関わる看護師からいろいろな問題を聞くことがあります。ガン患者に限らず終末期の緩和ケア病棟を神社の境内地にできないか、と聞かれたことがありました。

神職の多くは神葬祭など葬祭に関わりを持つことは少ないので「高齢多死社会」の現状を把握できていないと思います。また「ターミナルケア」という言葉も神職の間で聞くことはあません。「ターミナルケア」とは余命がわずかになった人の終末期医療や終末期看護を指し ます。つまり、「看取り」に向けての医療や看護のことです。「ターミナルケア」では基本的に 延命措置を行わず、痛みや不快な症状の緩和ケアが中心となります。

「ターミナルケア」を行う医療施設は、介護療養型医療施設(療養病床)、病院の緩和ケア病床、緩和ケア病棟(ホスピス)などがあります。介護施設には、介護老人保健施設や特別養護老人ホーム、一部の有料老人ホームなどがあります。

普通は宗教を必要としてない人々も、「死に場所難民」の時代に入りますと死に直面した時は必ず駆け込む場所を探すはずです。それらに対して神社も拠り所にならないのか。キリスト教系の病院・ホスピスは数多くあります。しかし神道系の病院・ホスピスは聞いた事がありません。仏教系では全国で17の病院があり関西では下記の通りあります。

•栄仁会 京都駅前メンタルクリニック - 京都市下京区。宇治おうばく病院の分院。
•田中医院 - 京都市中京区。西山禅林寺派。
•三聖病院 - 京都市東山区。森田療法専門の病院。東福寺境内にある。
•宇治おうばく病院 - 宇治市。萬福寺境内にある。
•あそかビハーラクリニック - 城陽市。浄土真宗本願寺派系。
•東大寺福祉療育病院 - 奈良市。華厳宗(東大寺)系。
•四天王寺病院 - 大阪市天王寺区。和宗(四天王寺)系。

神道系の病院
神奈川県の寒川神社の寒川病院
奈良県の天理よろづ相談所病院

全国に神社は8万社以上あります。神職は約2万2千人おられます。単純に計算しても1人の神職で8社の神社を維持されているということです。私も1社の神社を兼務しています。同期で地方の宮司をしている友人は15社も兼務しています。それも大阪と違い鎮守の森に囲まれ広大な境内を有しています。

心の安らぎとそして瑞々しい生命力を授かる鎮守の森の中で医療機関、つまり介護施設や「看取り」専門の病院、ホスピスに賃貸できないかと。もちろん賃貸料で神社の維持運営もできます。また神職が臨床宗教師としてターミナルケアに関われるのではないかと神社界で提言しています。生まれてきたから、避けて通ることのできない「死」。神職も「看取り」の問題に関わってもいいと思います。

次に「死に場所難民」のほかにもう一つ大きな問題があります。「葬儀難民」の問題です。
大阪市北区に通称「遺体ホテル」と呼ばれる「安置ホテル」があります。イオン系列の会社が運営しています。家族と故人が「最期の時間」をゆっくりと過ごす遺体安置・宿泊施設です。少人数でのお葬式を行うことが可能です。自宅で通夜や葬式を出さないで火葬までの間、家族が遺体と「最期の時間」を過ごせるホテルというコンセプトのもとに約5年前からオープンしています。

その背景には「葬儀難民」という問題を抱えているからです。東京都では葬儀場や火葬場を抑えることができるまで、最長1週間から10日かかります。その理由は深刻な火葬場の不足です。当社の氏子地域の火葬場も満杯で3日間待たされることもあります。「友引」の日は告別式や火葬を避けていましたが、そんなことを言っておられない状況です。

将来、24時間フル回転の火葬場も増えると思います。このままでは火葬までの期間、遺体だけを預かる安置所も増えてくると思います。各自治体が火葬場を増設しないと「葬儀難民」の問題は解決しません。


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「エンディングノート」について

「エンディングノート」について
最近、高校・大学の同級生、幼なじみが亡くなることが多くなりました。年齢的に結婚式に招待されるより葬式の方が多くなりました。それだけ私も年をとったという事です。当然、孫もできていますのでおじいちゃんと言うことです。

昨年、亡くなった友人は12回も手術をしました。おそらく本人はこの世を去ることを覚悟していました。彼から死ぬ前に何度も携帯電話で話すことができ、彼から最期の別れの言葉も聞きました。

今でも悔やまれるのは静岡県に住んでいた大学時代の親友のことです。彼は突然消えるような最期でした。当時、彼は静岡県で高校の校長をしておりました。定年前の12月に癌が発見され、すでに手遅れの状態でした。12月の初めに入院先の静岡の病院へ見舞いに行ったのですが、翌年の1月7日にこの世を去りました。ご存知の通り正月は神社が一番多忙なときで葬式に出られなかったことが今でも悔やまれています。来月に彼が眠る浜松市のお墓に参りたいと思っています。

私事ですが、平成15年4月には先代宮司が8月には母親が亡くなりました。共に高齢でしたので、二人とも死を覚悟していました。両親とも孫に囲まれてこの世を去りました。先代は「エンディングノート」を書いていましたので、「延命措置はいらない」「知り合いの病院で世話になった医師のもとで死ぬ」。また神葬式の斎主まで決めていました。「交通渋滞になるので神社では神葬式はしない。会館で執り行ってほしい」など事細かく書いてありました。

また先代から「お母さんは家族葬で行え」と指示されていましたので、そのように行いました。

先代の場合、医師から余命は3ヶ月と宣告されていましたので、神葬式の準備は完全にできました。母親も夏まで持てばよいかもしれないと宣告されていましたので、両親共に神葬式の準備をしなければなりませんでした。平成15年は人生で一番疲れました。

しかし両親がこの世を去ってからがたいへんでした。先代の「エンディングノート」には書かれていないことがあったのです。書籍は別にして、先代はおしゃれで1年に一回はスーツを誂えていました。靴も特注でした。

先代の身長は165センチありました。私は182センチ、息子は185センチあります。スーツもワイシャツも着ることはできません。いとこ達や親戚も合いません。洋服の始末に困りました。母親は母親で単行本の小説が大好きで何百冊の本と趣味の人形やこけし類が山と有りました。さらに両親たちの手紙も多くありました。

長生きすれば本人たちの思い出が込められた様々な「荷物」が増えて行く物だと思いました。長寿になればなるほどその荷物は増えるばかりです。一番家族にとって困る物は写真やアルバム・手紙です。両親が子供のときの写真や友人たちと取った写真、両親の結婚式の写真など、両親や祖父母の思いがこもっていると、不用意に捨てられないのです。

両親は別にして祖父母の若いときの写真や記念写真などを収めたアルバムを残しても、孫の時代は誰も見ないし誰が写されているのか分からないと思います。今だに大正時代のガラス板のフィルムもあります。祖父母が大好きな瀬戸物のレコード盤があります。落とせば割れますし、回転数が速いので聞く蓄音機もありません。骨董品だけが増えてばかりです。

両親のものだけで、だいたい3tトラック1台分の物品を処分することになりました。

自分がどういう逝き方をしたいのかを家族に伝える「エンディングノート」も必要ですが、
生きている間に不要なものは棄ててほしいものだと思いました。家族が故人の遺品整理に頭を抱えることなことにならないようにすべきです。生きているうちに自分の手でひと思いにすべて捨ててしまうのも方法だと思います。

「エンディングノート」にアルバムや手紙は『遠慮なく捨ててください』と記載してほしいと思います。一筆でもあれば、家族も処分しやすくなります。

亡くなった友人の父親がAVの趣味を持っていて、友人の家族たちが、遺品の整理中に見つけるというケースがありました。『なんだ、おじいちゃんHだったのか』と陰口を叩かれたそうです。友人の母親は『こんな恥ずかしいことはなかった』と言っていました。

子孫のために威厳を保つためにも、元気なうちにキレイさっぱり整理しょう。


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「憲法70歳。何がめでたい」

「憲法70歳。何がめでたい」
平成29年5月3日の産経新聞朝刊の第一面の見出しに「憲法70歳。何がめでたい」という記事がありました。

ご存知のことと思いますが、日本国憲法は占領下の昭和22年(1947)5月3日に施行されました。世界中で改正されたことがない憲法が日本国憲法で、施行から70年も経ち世界一の「長寿」となっています。それで産経新聞が皮肉で「何がめでたい」と記事にしたのです。

そもそも日本国憲法を草案したのは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)です。それも8日間で草案しました。その証拠に日本国憲法が英語で書かれた草案が存在しています。日本国憲法は英語で書かれたものを訳したものです。ハーグ陸戦条約には占領軍は占領国の憲法を制定してはいけないとしてあります。しかしそれを無視して草案した為に占領軍は英語で作ったのです。

知られているとおり、日本国憲法の改正には国民投票をすることが定められています。日本国憲法が草案されたときには国民の議論もなし、国民投票を行っておりません。国民の議論もなし許可もなし、国民投票もなし、それで「日本国憲法は国民の信を得ている」、という野党の発言は滑稽です。

また不思議なことに明治憲法と呼ばれている大日本帝国憲法は破棄されていません。占領の言論統制の中で国会の議論や国民投票で破棄することができていないからです。大日本帝国憲法はまだ存在しているのです。どこに存在するかというと、実は日本国憲法の中に存在しているのです。

大日本帝国憲法第73条の改正手続きを利用してほぼ全文を入れ替えて、作られたのが日本国憲法です。簡単に言えば大日本帝国憲法の延長線上に日本国憲法が存在するのです。そうすると日本国憲法は存在しない、と言うことになります。無効なのです。

ところで第23条に「学問の自由は、これを保障する」とあります。学問の自由を保障するならば例えば東京大学などの国立大学への入学制限の入学試験は憲法違反と言うことになります。

そして日本国憲法では憲法を守らなければいけない義務がある対象を具体的に指定します。第99条です。条文を見てみます。

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

この条文の中には国民は入っていません。憲法を守る義務があるのは公務員だけです。国立大学の入学試験を実施していている文部科学省と公務員たちは憲法違反になります。

第9条の問題ではなくいろいろな矛盾と問題を持っている日本国憲法を改正されたことが一度もなく、70年間存在すること自体が『世界最古の憲法』と揶揄されているのです。

以下は、先進国におけるこれまでの憲法改正の回数です。

ドイツ:59回
フランス:27回
カナダ:19回
イタリア:16回
アメリカ:6回
日本:0回

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神箸

神箸
4月中、体調が良くないのでご先祖の墓参りを控えていたのですが、昨日ご先祖と父母の奥津城(おくつき・墓のこと)の掃除とお参りに行って来ました。花谷家の奥津城は明治の神仏分離以後、奈良県五條市の山深いところにあります。

自動車で2時間ほどかかります。花谷家では4月30日までに奥津城へお参りし、来年の三月まで毎月一日の月次祭(つきなみさい)や夏祭・秋祭に使用しますお箸の材料、杉の霊木を持ち帰えります。神箸は儀式で神さまに食物を捧げる道具として使われるのです。

帰宅後、霊木を加工して本日の5月1日午前7時に執行される月次祭に使用させていただきました。神箸には神さまと宮司の「間に挟む」意味があります。この神箸は「記紀」にも記述されており、神さまがこれを使って新穀を召し上がるものでした。

当社では5月5日の午後2時からは九鬼稲荷社の祭礼が執行されます。九鬼稲荷社のご祭神は摂津三田藩三代目藩主九鬼隆律(くきたかのり)です。端午の節句には柏餅やちまきを神饌としてお供えしています。先代の頃までには「ぶりの照り焼き」が九鬼隆律さまに神饌として備えしていました。「出世魚」と呼ばれるためです。その時にも九鬼隆律さまが食されるように神箸も横に置いていました。

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