長屋王の邸宅跡地

長屋王の邸宅跡地

昭和63年(1986)8月、奈良そごう工事現場(現イトーヨーカドー奈良店)から長屋王(684年~729年)の邸宅跡と考えられる10万点にのぼる多量の「木簡」が発掘されました。それを「長屋王家木簡」と言います。発掘調査は奈良国立文化財研究所が行いました。

出土した木簡に記された文字の中に、加須津毛瓜(かすつけうり)、醤津毛瓜(ひしおつけうり)という文字が記されていました。この中の「津」は、ひたひたの状態を表し、ドブロクの上澄みを酒として飲み、 下に溜まったドロドロした中に塩漬した野菜を漬け込んだものではないかと考えられ、奈良漬の原型ともいえるものがあったと思われます。

当時のお酒は、濁り酒といってドロドロしていたお酒であったので、その中に塩漬した野菜を漬け込んだのではないかと考えられます。

しかし長屋王が飲まれていたお酒は「長屋王家木簡」から知ることができました。左大臣長屋王の邸内の酒司(さけのつかさ)・御酒醸所(おんさけかもしどころ)には甑(みか)が据えられており,それらの甑のいくつかには甑ごとに酒の仕込配合が録されていました。赤米やこうじ、水の配合が異なる6種類の酒が記されていました。ドブロクの白酒ではなく、赤い色の清酒に近いお酒を長屋王は飲まれていたのです。

「日本書紀」には都祁(つげ)の氷室(ひむろ`の起源説話があり、夏に長屋王が氷を入れた酒を楽しんでいた、といわれています。  

ところで長屋王は天武天皇の長男高市皇子(たけちのみこ)の子で、母は天地天皇の皇女、御名部皇女(みなべのひめみこ)。妻は吉備内親王(きびないしんのう、草壁皇子と元明天皇の次女)です。

長屋王は、神亀元年(724)に最高職の左大臣に就任し、聖武天皇を盛り立てて政治を行なっていました。神亀6年(729)2月10日、皇位継承にからみ、謀反の疑いで館を囲まれ、夫妻と四人の皇子が自害に追い込まれました。世に言う長屋王の変です。

この変は、藤原不比等の四人の息子、武智麻呂・房前・宇合・麻呂が仕組んだという陰謀説だといわれています。8月に天平と年号が変わり、藤原不比等の娘、光明子が皇后となり皇族以外から立后された最初の例となりました。

「万葉集」に長屋王一族の死を哀れんだ倉橋部女王(くらはしべのひめおおきみ)の詠まれている歌があります。倉橋部女王は「万葉集」の中にしか出てこない女性なのです。従いましてどんな女性なのか、はっきりはわかりません。

「万葉集」が編集された当時は、無実の罪で自害に追い込まれた長屋王への同情は、自分身も危険なことだったにちがいありません。それで、わざと作者の名前を偽名を使ったと思います。長屋王に近いお方だと考えられます。

神龜六年己巳、左大臣長屋王の死を賜はりし後、倉橋部女王の作る歌一首

大君の 命畏み 大殯の 時にはあらねど 雲隠ります(巻三 441)

解釈しますと、恐れ多くも大君の命により、まだその時期でもないのにお隠れになってしまわれた、となります。

次に膳夫王(かしわでおう)は、左大臣・長屋王の長子で父子と共に自害されたれたことを悲しんで作られたものですが、作者いまだ不明ですが山部旅人といわれてます。

膳部王を悲傷する歌一首 

世間(よのなか)は 空しき物と有らむとそ この照る月は満ち闕(か)けしける(巻三 442)

解釈しますと、世の中は 空しいものだ。まるで決まったように、この照る月が満ち欠けするようだ、となります。

現在、長屋王夫妻のお墓が奈良県生駒郡平群町にあります。

前述しました通り、長屋王の邸宅跡は百貨店「奈良そごう」が開店しましたが経営が上手く行かず閉店し、平成15年7月、イトーヨーカドー奈良店が開業しました。全国のイトーヨーカドー店舗としては最大規模だったそうです。その後、郊外型の大規模商業施設「イオンモール大和郡山」(大和郡山市)などが相次いでオープンすると、客足を奪われて、今月の9月10日で閉店しました。

インターネット上では「長屋王の呪い」ではないかと、本気とも冗談ともつかない書き込みが多く出ています。

私は「奈良そごう」の時代に、回転展望レストランがあり、よく食事に行きました。閉店したイトーヨーカドー奈良店に代わってショッピングセンター「NARA HEIJO PLAZA」(仮称)として平成30年春の全面リニューアルオープンを目指し改装工事が進められているそうですが、回転展望レストランの復活を願っています。




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緊張と緩和について

緊張と緩和について
直会(なおらい)とは、祭りの終了後に、神前に供えた御饌御酒(みけみき)を神職をはじめ参列者の方々で戴くことをいいます。

古くから、お供えして神々の恩頼(みたまのふゆ)を戴くことができると考えられてきました。この共食により神と人とが一体となることが、直会の根本的意義であるということができます。

折口信夫先生は「古代人の思考の基礎」の中で直会について下記の通り記載されています。

式の祭りの後に、神社で直会といふものをする。其が、今は殆、宴会とくつついてゐるが、昔は神まつり(正式儀式)・直会・肆宴(トヨノアカリ)と三通りの式が、三段に分れてゐた。この三通りの式を、次第にくだいて行ひ、直会では歌、肆宴では舞ひや身ぶりが、主になつてゐる。

直会は簡略化されたものとして、御酒を戴くことが一般的な儀礼となっています。本来は神事が終わり「神人共食」という祭りの延長が直会の意義です。

神職は祭りに奉仕するにあたり、心身の清浄につとめるなどの斎戒をします。祭りの準備から祭典を経て、祭典後の直会をもって全ての行事が終了し、斎戒を解く「解斎」(げさい)となり、もとの生活に戻ります。

50歳代の頃は鶴見神社の宮司と兼務社2社の宮司も兼ねていました。秋の大祭が終了しますと直会が三回も続きました。やっと大祭の緊張がなくなり、直会の宴席と言うことになるのです。しかし総代さんと崇敬者や来賓の人たちと一杯飲むのですが、最近ではお酒の他にビールが出たり、兼務社の近くのブドウから醸造した河内ワインが出たりして、結構酔いつぶれるのです。これが当社と兼務社の二社で直会が行われるのですから体が持ちません。

ところで東洋医学のバイブル『黄帝内経素問』の中に「喜」つまり喜びすぎると「心の臓」が不調きたすとあります。「喜び」という感情なんて、あればあるほど良いことだと思うでしょう。しかし『黄帝内経素問』では、体に良いようにに思える「喜」という感情も、過多になったり、過少になったりすれば体に不調を起こす、と教えているのです。

「喜は気を緩める」と記載しています。「喜」は精神的ストレス、肉体的疲労から緊張を緩和してくれる、といっています。確かに大祭などの重要な神事は強い緊張を強いられます。神事終了後の直会という「喜」は必要です。

しかしこれも直会の席上、飲みすぎて食べ過ぎて「気が緩む」と問題となります。東洋医学では、「喜は心をやぶる」と言って、直会・宴会・飲み会が続いたりしますと五臓の中の「心の臓」に悪影響を及ぼすと考えています。

私か思いますのにバランスです。「緊張」が続くと病気になり「遊興」が続くとこれも病気になります。「緊張」と「緩和」のバランスが大切です。今年で67歳になり老人の仲間ですので当社だけが直会があり兼務社は直会がありませんので助かります。
 

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「怒り」と「心の病」について

「怒り」と「心の病」について
東洋医学では「心の病」には、約2500年前の医学書「黄帝内経」(こうていだいけい)には七つの原因が感情が原因となっていると説明しています。それを「七情(しちじょう)」と言います。その内訳は

「怒る」・「喜ぶ」・「思い悩む「・「悲しむ」・「憂うる」・「恐れる」・「驚く」の7つです。

最近、適応障害・パニック障害・うつ病・自律神経失調症など「心の病」が社会問題にもなっています。「心の病」の原因はストレスであると言われています。東洋医学では何がストレスの要因かを「七情」で考えています。

それも「七情」のマイナスかプラスかを考えて、バランスがよければ正常な身体であり病気になることはないということです。

例えば「怒り」についてですが、私など神社の宮司なのでおとなしく怒ることはない人物だと思われています。「怒る」という感情は毎日持っています。テレビの放送で阪神タイガーズが負けていますと、「何をやっているや、しっかりと打たんか」という怒りの声で愛犬のルークはおびえます。

このように、おもしろくななことがあった時にこの「怒」という感情を持ったり、声を荒げたりする自体はまったく普通のことです。病気ではなく普通のことで健康的なことです。

しかし、何かのきっかけで、「怒りすぎたり」「怒りを我慢しすぎたり」すると「病気」になる、と東洋医学は考えます。東洋医学は「七情」のバランスを重要視しているのです。

報道以来、すっかり行方をくらましている豊田真由子衆院議員の「このハゲぇーーっ!」という怒声には度肝を抜かれましたが、これは怒りすぎです。彼女の事務所の政策秘書がスタッフに怒りの我慢をこえて入れ替わり辞めて行き、秘書仲間の間では「ブラック事務所」として有名だったそうです。

豊田真由子衆院議員の場合、パーソナリティ障害を患っておられると思います。それもサディスティックパーソナリティ障害だと思います。常軌を逸した「怒りすぎ」は心の病気です。豊田真由子衆院議員は自民党を離党されたそうですが、できれば国会議員も辞職され心を癒されて療養を続けられたほうがよいと思います。

ディスティックパーソナリティ障害をウィキペディアから引用します。

サディズムは、苦痛や不快をこうむる他者を見ることで快楽を得ることを意味する。相反過程理論では、誇示するだけでなくサディスティックな振る舞いの実行を楽しむことの様態も説明している。

サディスティックパーソナリティ障害を持つ人々は再発性の残酷行為と攻撃を示す。サディズムは、感情的残酷さの行使、恐怖の活用を通しての他人に対する意図的な操作、暴力への没頭、をも意味しうる。

ある種のサディスティックな人々が痛みや苦しみを他者に与えることで快楽を得るのではあるのだが、サディズムというものは必ずしも肉体的な攻撃や暴力の行使を必要としない。よりしばしば、サディスティックな人々は攻撃的な社会的振る舞いを示し、他者に優越しているという感覚を成就させるために公衆の面前で彼らに恥をかかせるのを楽しむ。

以上ウィキペディアから引用しました。

私が思うのに北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長もサディスティックパーソナリティ障害ではないかと思います。人生において恐怖ゃ失望、不平不安を肌で感じるときに、突然暴力的な行動に走ります。また屈辱や恥辱、失望を与えられたときに牙を向き、突発的に自制するものがなくなると、「怒り」を抑えなくなり他人や他国に対して恐怖を与えるような攻撃的な行動をとります。

サディスティックパーソナリティ障害は人を犠牲にしてまで萎縮させ服従させることに満足感を求めます。さらに「怒り」を行動で示して恐怖や脅迫を呼び起こす意図的な暴力的な手段を用います。他人や他国を打ちのめすことによって周囲の人々より優越感に浸ることを求めます。

サディスティックパーソナリティ障害の治療法に薬物療法や精神療法やカウンセリングがありますが決定的な治療法はありません。針灸医学では「癒しの鍼」を行い、その上で肩こりや目の疲れや全身の疲れをバランスよく治療して行きます。

結論から言えばおもしろいことがあれば、その分おもしろくないこともあるります。これは当り前の話です。高杉晋作の辞世の句を記します。

『面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり』

病で死の床にあった高杉晋作が上の句を詠み、その看病に当たっていた野村望東尼(のむら もとに)が下の句を付けたとされてきたようです。

簡単にいえば、自分の心の持ち方次第で、この世は面白なくても面白くなるんじゃないの?


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