「神宮大麻」と「神札」

「神宮大麻」と「神札」
早いもので今年も残すところあとわずかとなりました。年を重ねるごとに時間の流れが速くなったと感じるようになりました。それだけ老人になったのでしょう。

例年恒例の「稲蓬莱」もほぼ氏子地域を配り終えホッとしているところです。兼務している大宮神社の注連縄も届き、正月の準備は掃除するのみとなりました。

ところで日本では古くから、お正月にお迎えする歳神さまをはじめ、台所には竈神さま、井戸には井戸神さまなど、さまざまな神さまをおまつりし、日々の暮らしをささえて下さる神々の恵みに感謝してきた風習があります。

そのことから新年を迎えるにあたり、ご家庭や会社の神棚に新たな「神宮大麻」と氏神さまの「神札」をお受けされるお方が当社に来られます。

時々、参拝者のから「なぜ授与所に神宮大麻(御札)がおいてあるの」といわれることがあります。

「伊勢に七度、熊野に三度、お多賀様には月参り」と詠われたように、昔から伊勢は神宮鎮座の地、聖地としてあるいは「心のふるさと」として信仰されてきました。神宮への崇敬と信仰は、中世から近世にかけ御師(おんし)と呼ばれる人々の活動により、伊勢信仰は全国に広められました。御師を今の言葉でいえば旅行会社です。
  
御師達は、「神宮大麻」や「神宮暦」を全国各地へ配り、神宮の御神徳を説き各地域と神宮との精神的なつながりを推進してきました。その結果、江戸時代になると伊勢参りは盛んに行われるようになりました。

また全国各地に「伊勢講」ができました。当社の氏子地域も江戸時代から昭和30年代まで「伊勢講」が存在していました。村で講を組織して年に一度、持ち回りで講員を村の代表として参宮させる代参方式がとられていました。伊勢参りは、自分の足でひたすら歩くことになるわけですから、現代の旅行のように乗り物代はかかりません。 もちろん宿泊代や食事代も要りますので、毎月積立金をしていました。

当社では例年12月初旬、二名の講員は神宮に参拝し「神宮大麻」と「神宮暦」を受け、帰宅すると村中の各家に配りました。江戸時代から昭和30年代まで、ほとんどの世帯で「神宮大麻」と当社の「神札」がお祀りされていました。

「神宮大麻」をお受けするには二つの方法があります。一つは神宮に参拝し授与所でお受けする方法があります。二つ目には各神社の授与所には「神宮大麻」がありお受けすることができます。

各神社で受けられる「神宮大麻」がどのようにして神宮から、おまつりする家庭までたどり着くのか、「神宮大麻頒布」を「大阪府神社庁」の事例から説明します。平成30年9月中旬、奉製された「神宮大麻」は、神宮の神楽殿で行われる「神宮大麻暦頒布始祭」によって大宮司から神社本庁の統理に授与され、次にその場で統理の手から各地の神社庁長へと手渡されます。

10月下旬に大阪府神社庁主催の「神宮大麻暦頒布始報告祭」が執行され大阪府神社庁庁長から大阪府神社庁の12支部長に手渡されます。11月下旬、大阪府神社庁第4支部で「神宮大麻暦頒布始報告祭」が執行され、第4支部長から「神宮大麻」が鶴見神社宮司に手渡されます。以上の経路で「神宮大麻」が頒布されるのです。

ところが最近、全国的に「神宮大麻」の頒布数が減少傾向にあります。当社の場合を報告します。当社の氏子地域から近鉄電車や自動車で行けば3時間あまりで神宮に参拝できます。直接神宮で「神宮大麻」を受けられる人が多くなりました。

また氏子地域も大きく変化しました。当社の氏子は地縁血縁関係が濃厚な地域でした。ところが高僧住宅が建って人口が増えたのですが、その反面、郷土意識が薄いということでしょう。地元住民とは関わらない風潮があります。
 
それに加えて高齢化が一段と進み、「神宮大麻」を受けられるお方が減少したことも要因しています。人口減少が進みますと氏子と参詣者の減少になります。氏子が減れば祈願・授与品の初穂料、お賽銭も望めません。それは信仰の衰退にもつながります。

これは神社界だけではなく寺院も極めて憂慮すべき事態になりかねないと考えています。

確かにパワースポットや御朱印はブームです。しかし肝心な神社信仰の基本となる「神宮大麻」は減少しています。パワースポットや御朱印が家庭祭祀に繋がるような良い機会ととらえて活動することも考えなくてはなりません。

初詣の際には「神宮大麻」と「神札」をお受け下さい。

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