言挙げせぬ国

明けましておめでとうございます。

新年を迎え、初詣へ行かれた方も多いことと思います。家族の健康や会社の安全や商売繁盛を願い、またご自身の志を新たにして神さまに手を合わせる初詣は、1年のスタートを切るとてもよい機会だと思います。

ところで「万葉集」の柿本人麻呂の歌に「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 然れども 我は言挙げす」があります。

「言挙げ」とは「言葉に出す」という意味で自己主張のことです。私たちの先祖は言葉に出さずとも肌で感じ合うことを実践して、言葉や体裁、形式よりも、大切な人の心や感情を察して生きていくことの重要さを知っていました。

互いに言葉を越えて心で感じ合う社会が形成されていたのです。民度の低い民族とは違い、日本人は言葉に出さずに相手の感情を察し、心を感じ合ってお互いが心での会話をしてきたのです。

日本人は目でものをいう民族です。相手を敬う心があれば、言葉にせずとも通じ合えます。故に風水害や震災時に略奪は発生しない国なのです。

今でも多くの日本人は、言わなくてもわかっているだらうと言葉に出さないことが多くあります。

しかし沈黙するだけでは、誤解されることが多くあります。

今回の海上自衛隊の哨戒機が韓国駆逐艦から火器管制レーダーの照射を受けた問題については「言挙げ」することが必要です。「言挙げせず」の意味は「簡単に口にはしないが、覚悟をもって発言する」と言うことだと思います。

隣接する中国や韓国とは同じ黄色民族ですが、容姿は似ていても感覚と思考は全く違います。尖閣諸島や竹島などの領土問題、元徴用工訴訟をみても理解できます。

中韓二国はあらゆる国々でロビー活動を続けています。このままでは日本の主張が通用しない可能性があります。我が国も国際社会で「言挙げ」して、はっきりと訴え続けてゆくことが必要です。

しかし国民の代表たる衆参両議員の発言やテレビのワイドショーなどマスコミは、人の言葉尻をとらえたような議論や報道ばかりです。口達者であることがまさに勝者であるかのような風潮です。かつての日本人はわざわざ説明したり議論したりなど「言挙げせず」とも、互いに心と心を通わせながら人の道にかなった生き方をしていたはずです。

「言挙げせず」とも他者の心を思いやる清らかで優しい精神を持ち合わせたいものです。
法律や規則でがんじがらめになり人を信頼できない社会よりも、そういったものがなくとも人を信頼し、道義に生きる美しい日本にしたいです。


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