「即位礼正殿の儀」と「平安遷都の日」は同日

「即位礼正殿の儀」と「平安遷都の日」は同日
私の祖父母・兄弟・従兄弟まですべて京都で教育を受けました。京都に住んだことがないのは親戚で私だけです。私は大阪の浪速高校から伊勢市の皇學館大學で学びました。

住んだことが無いために京都の人の考え方や気質は分かりません。先代はどちらかと言えば京都の人になりきっていました。先代は当社の宮司でしたが、京都の下賀茂神社に勤務していたので、やたらとプライドが高く格式にこだわりました。

昭和初期、先代と兄弟は烏丸通今出川に借家を借りて住んでいました。いっしょに京都に行くと「このあたりは西郷隆盛が歩いていた通りや、あの石は薩摩藩士が立小便したところや」と見たようなことをしゃべっていました。そのことから京都は歴史を身近に感ずる不思議なところだと思いました。

先代は、京都の人の「先の戦争の際、京都は焼け野原でした」と言う先の戦争とは「応仁の乱」のことを言うと。

ところで50年間も付き合っている京都の友人のお話しです。

「10月22日の即位礼正殿の儀に使用される高御座、なぜ京都御所にあるのか知っているか。明治天皇さまは、ちょっと東京へ行ってくると出かけられてから大正天皇・昭和天皇・上皇陛下と続けられて東京にお住まいやけど、いつでも天皇さまが御所に戻って来られるにように京都御所においてあるんや」

歴史的に見て京都の人は天皇さまと深いつながりがあり、お互い信頼と敬愛に基づく間柄があるのだと友人の話しを聞いて実感しました。実際、明治天皇・大正天皇・昭和天皇は京都御所で即位式をされています。戦前の「皇室典範」に天皇即位の大典は、京都御所で執り行うことが明記されていました。

現代では国内外をふくめて東京を首都と認めています。ところが京都から「東京遷都」の詔(みことのり)は存在していません。現憲法にも首都を東京に定めた法律はありません。

慶応4年7月17日(1868年9月3日)に、明治天皇が発せられた詔勅、「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」をご覧下さい。

朕今萬機ヲ親裁シ億兆ヲ綏撫ス江戸ハ東國第一ノ大鎭四方輻湊ノ地宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ因テ自今江戸ヲ稱シテ東京トセン是朕ノ海内一家東西同視スル所以ナリ衆庶此意ヲ體セヨ

江戸が東京(西の京に対しての東の京)に改称したことが記載されています。これは「東京遷都の詔」ではありません。東京に名称を変更しただけです。

同年9月に元号が明治に改められ、同年10月13日に明治天皇が東京に入られました。翌明治2年(1869)に新政府が京都から東京に政治を移行したのです。明治4年までには新政府の中央機能は東京に移転しました。

政治の中心を東京に移動しただけで京都御所、京の都が残されたままで現代にいたっています。

遷都とは都を遷すことです。奠都(てんと)とは新たに都を定めることです。このことから「東京遷都」ではなく「東京奠都」と言う言葉が成り立ちます。こうなれば「東西両京」が存在し、京都の人が言うように天皇さまがお留守されているだけ、と言えます。

もう一つ不思議なのは、今上陛下の「即位礼正殿の儀」が執り行われる日付をご覧ください。令和元年10月22日です。毎年10月22日は京都市で時代祭の行列が行われる日です。

時代祭は葵祭や祇園祭と共に京都三大祭の一つです。時代祭の行列の日程は延暦13年(794)10月22日、桓武天皇が「平安遷都の詔」を発せられ、長岡京から平安京に移ったことに由来しています。

「平安遷都の日」を記念して京都市では、毎年10月22日に時代祭の行列が行われているのです。

もし仮に皇室の関係者のお方が10月22日に御即位の日として望まれたのであれば、京の都のことをお忘れでなかったということになります。

「即位礼正殿の儀」が「平安遷都の日」に執行されることは天皇陛下と京都の人たちの絆が一層強くなります。

本来なら「即位礼正殿の儀」と同日に「時代祭の行列」が行われるのですが、今回「即位礼正殿の儀」が執り行われますので、10月26日(土)に変更となりました。残念です。

天皇陛下は即位礼の儀式の当日、宮中三殿の賢所・皇霊殿・神殿のそれぞれに陛下がみずから報告されます。

そして午後1時から「即位礼正殿の儀」が執り行われます。皇居の正殿に設置された高御座において天皇陛下が御即位を公に宣明されるとともに、列席した国内外の代表らがお祝いします。

もし同日に時代祭の行列が行われていたら、「即位礼正殿の儀」が開始されるころは、京都市役所前を通過するころです。



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即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)に際して

即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)に際して
今月10月22日は今上陛下の即位礼正殿の儀の行われる大変おめでたい日です。当社の氏子の皆様と共々御大典に奉祝の意を表させて頂きたいと考え、当社では新しく例祭提灯の作製と提灯吊台を新たに設置しました。

ところで当社の秋の大祭が10月19日・20日です。その二日後の10月22日は即位礼正殿の儀が執り行われます。新しく作製187個の提灯も赤々と照らして御皇室の安泰と国民が平和で安心して暮らせますようにと祈願します 

皇位につかれた今上陛下がその即位を全国の国民、200近い外国の元首・祝賀使節が参列する中で高らかに宣明されます。その御即位を内外の代表がお祝いする儀式が即位礼正殿の儀です。

即位礼正殿の儀が行われる日の令和元年10月22日は祝日となっています。

祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)(パレード)
国民に広く御即位を披露され、祝福を受けられるため、天皇皇后両陛下のパレードを行います。即位礼正殿の儀の終了後、午後3時半に皇居・宮殿を御出発になり、おおむね午後4時に赤坂御所に御到着になる予定です。当日に台風が来るなど荒天の場合などは、10月26日(土)に延期となります。


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仁徳天皇の徳政と消費税の増税について

仁徳天皇の徳政と消費税の増税について
令和元年7月6日、仁徳天皇陵の古墳はユネスコの世界遺産に登録されました。仁徳天皇といえば小学校の運動会に国歌・校歌とともに大阪市歌を思い出します。

大阪市歌は大正10年(1921)に制定されたものです。大阪市歌は三番までありますが、注目する点は一番です。

1.高津の宮の昔より、よよの栄を重ねきて、民のかまどに立つ煙にぎわいまさる大阪市、 にぎわいまさる大阪市

大阪市歌の一番目の歌詞は仁徳天皇の徳政を敬い讃えています。

「日本書紀」によると、仁徳天皇の四年、天皇が難波高津宮の高台から遠くをご覧になられて仰せられました。

「民のかまどより煙がたちのぼらない。民が貧しくて炊くものがないのではないか。五穀が不作で国中が困窮している。都がこり有様だから、地方はもっとひどいことであろう」と仰せられのです。

その結果、「向こう三年、税を免じ民の困窮を救う」と詔(みことのり)されました。

それからというものは、天皇は衣服が傷んでもを新調されず、食事は質素にされ、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理も遊ばされず、星の光が破れた隙間から漏れて見えて床を照らすという有様にも堪え忍び給いました。

三年がたって、再び天皇が高台に出られて、かまどの煙が盛んに登るようになりました。この様子をご覧になられて、かたわらの皇后に申されました。
 
「朕はすでに豊かになった。もう心配はない。嬉ばしいことだ」
 おそばにおられた皇后様は「宮垣が崩れてしまい、宮殿の屋根が破れているのに、どうして豊かだとといえるのですか」
 
「よく聞きなさい。天下を治める天皇の政事は民のためにある。故に古(いにしえ)の聖(ひじりの)王(きみ)は民が一人でも飢え凍えるときは、自らを反省し責めたものだ。その民が富んでいるから、朕も富んだことになる」と天皇は、ニッコリされて、こう申されました。

 そのころ、国中より「宮殿の屋根は破れて壊れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても拾っていく者は誰一人いない。もしこの時に、税を徴収していただき、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰があたります」との申し出が頻繁にあるようになりました。

 それでも、天皇は引き続きさらに三年間、税を徴収することをお聞き届けになりませんでした。六年の歳月がすぎ、やっと税を徴収し、宮殿の修理をお許しになりました。

その時の民の有様を「日本書紀」は次のように生き生きと伝えている。

十年冬十月、甫科課役、以構造宮室。於是、百姓之不領而扶老携幼、運材負簣、不問日夜、竭力競作。是以、未經幾時而宮室悉成。故、於今稱聖帝也。

仁徳天皇十年十月。民、うながされずして材木を運び篭に盛り土を入れて背負い、日夜を問わずに働くことに競い合い、そんなに日数がかからないで宮殿は修理できた。それ故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉るという解釈です。仁徳天皇は崩御の後は、和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬し奉られたのです。

仁徳天皇は免税によって民の生活を豊かにされました。しかし我が国では仁徳天皇の徳政も知らずに、令和元年10月1日、消費税が10%に引き上げられました。数年前の「働き方改革」により残業手当が減り給料とボーナスは昨年よりも伸び率が低い状態になっています。誰が考えても消費税アップは消費を低下させます。

わが国の国内総生産(GDP)の6割弱は個人消費です。個人消費が低下すればデフレ不況は脱却できません。デフレ現象が現実的に起きた国は1990年代以降では日本以外にありません。

税金はお金持ちや利益があるところからたくさん取る、困窮している人からは取らない。これが当たり前のことです。困窮していようがいまいが、とにかく取るというのが消費税です。

私だって消費税が上がれば買い物を控えて消費をしなくなります。そうなればデフレ不況は続きます。直接税の所得税・法人税・相続税・贈与税を上げて、間接税の消費税を引き下げることがデフレを脱却させる方法だと思います。

社会保障の財源は国民の消費が伸びれば税収は増えます。我が国の国民の預貯金は約1000兆円もあります。我が国はこれだけの預金があって景気が悪い不思議な国です。国民に消費させないとお金は廻りません。消費税減税を行い、緊縮財政をやめて公共事業を行うことです。

仁徳天皇の徳政から学び、国民を思いやる政治を行ってほしいです。

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