なぜ中国人は日本で常備薬やサプリメントを買うのか

なぜ中国人は日本で常備薬やサプリメントを買うのか

時々当社に中国の友人がやってきます。今年の7月・8月が頻繁にやってきました。彼等の目的はと買い物です。当社のすぐそこにイオンモール鶴見緑地店があります。そこで子供たちと孫は買い物する間に、友人は私と会話を楽しみます。

友人に彼等はイオンで何を買うの、と聞くと化粧品とサプリメント・常備薬と言います。こと医薬品だけを言えば、種類も豊富で圧倒的に中国の方が安いと思います。しかし粗悪品が多いので日本で買い求めたほうが安心なのです。

別の友人は今年の4月ごろ、人間ドックのツアーで山口県の下関の病院で健康診断を受診していました。聞けばかなりの高額の、人間ドックツアーでした。

中国人は日本の病院を希望する背景には、中国の評判のわるい病院事情があります。北京のある病院では夜明け前から長蛇の列ができます。しかし診察を受けられる人は少ないと思います。そこの病院には「診察予約券」が発行されます。しかし「診察予約券」はなかなか手に入りません。その理由は日本でいう「ダフ屋」が病院の事務方から「診察予約券」を違法に買い入れるからです。

ところで中国の病院は受付にならんで「診察料」と「カルテ冊子代」を支払います。そしてどの医師に受診するのか指定し、その医師から検査が必要だといわれたら、会計で「検査料」を支払い領収書を持って検査を受けます。検査結果を持って再び医師に診察を受け、注射や点滴が必要な場合、会計で「注射料」や「点滴料」を支払つて、領収書を持って処置室に行きます。

薬剤の投与が必要な場合、会計で「薬代」を支払い領収書を持って薬局に行きます。

簡単に説明していますが、検査や処置にも薬局にも長い順番待ちがあります。その結果、患者の検査結果を待たずに帰宅する医師もおります。

なぜこのようなシステムがあるのか、といえば「診察代」を踏み倒しの予防策です。

また有名な医師や教授には高額のお金が必要となります。もちろん手術前の金は当たり前です。私の友人は看護師や受付の人にもお金をわたしていました。その友人が病院食が口にあわないので近くのレストランで三食、食べていました。

日本の医療や老人施設が中国で人気なのは、優秀で質の高さがあるからです。医師も看護師も介護福祉士も丁寧な対応と敬語で応対するからです。「おもてなし」というサービス文化が根底にあるからです。

中国人は自国のシステムが悪い病院にかかりたくないので、病気予防に一生懸命なのです。

そのために常備薬やサプリメントが必要なのです。しかし自国の常備薬は効き目が強力でも副作用の心配、何よりも何が成分に入っているか、安全性に疑いを持っているのです。



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平成の御世の最後の「野分祭」について

平成の御世の最後の「野分祭」について
今月の11月24日、三重県四日市市大治田に出向き、正午から「野分祭」を執り行います。

昭和45年11月25日、三島由紀夫先生と自決された森田必勝先輩の慰霊祭、「野分祭」を斎主として先輩の墓前で神式で斎行します。

翌11月25日は横浜市の鶴見神社で三島先生の野分祭が斎行されます。

不思議なことに横浜の鶴見神社では例年、金子宮司が斎主として野分祭が斎行され、大阪の鶴見神社の宮司の私が森田先輩の「野分祭」を斎行しています。東と西の鶴見神社が斎行することは、先生や森田先輩の神霊の意向によるものだと思います。

今年で「野分祭」は48年祭になります。昨年は秋空のいい天気に恵まれ、楯の会の先輩、同志諸兄が参列されました。今年も晴天を祈り元気で先輩諸兄にお会いするのが楽しみです。

今年も祝詞を作成する時に涙が流れてきました。この時期、やたらと感傷的になります。NHKの大河ドラマ「西郷どん」を視聴しても、西郷隆盛を演ずる鈴木亮平が若き日の森田さんに見えて涙が流れてしまいます。

最終回になりますと、城山で西郷隆盛先生の自決される場面が出てくると思います。先生と森田先輩を思い出してしまうので視聴しないことにしています。

ところで日本は不思議な国だと思います。歴史と文化が守られている限り、万世一系の天皇陛下がおられる限り、「死ぬことによって蘇る系譜」があります。楠木正成・吉田松陰・橋本左内・西郷隆盛・日清から大東亜戦争の英霊は我が国の危機的な状況において蘇られています。

幕末の志士に筑前久留米藩の水天宮の神職、真木和泉守保臣がおられます。私は真木和泉守と同じ神職の家に生れていますので尊敬している人物です。彼は「今楠公」と呼ばれたほど楠木正成を敬慕していました。真木和泉守の日記を見ますと、毎年5月25日に執行されていた「楠公祭」のことが記載されています。

そのうちの安政6年(1859)5月25日のところに「25日、雨の日の正午、楠公をお祭する。しかし午前に血を吐いた。おそらく肺からの喀血であろう。量は多くないので、心配はない」この状況でも「楠公祭」を斎行されたのです。

真木和泉守は、文久3年(1863)5月25日の「楠公祭」を山口県の下関で斎行しました。この日の前後、下関は大変な緊張状態でした。23日は下関の砲台からフランス軍艦、26日にはオランダ軍艦を砲撃しています。

翌元治年(1864)5月25日の「楠公祭」は山口の隣の湯田で行われました。その2ヵ月後の7月21日に真木和泉守は禁門の変の戦いに敗れ、天王山で同志16名ともに自刃されました。

明治維新を考察しますと「楠公」の精神を抜きでは考えられません。そのことから「野分祭」の意義を語り継ぐことにより、次の世代が「三島由紀夫先生と森田必勝先輩」を仰ぎ、それを心の支えとして日本を日本らしく改革してくれると信じています。

私は両烈士から学んだことは「誠」という言葉でした。特に森田先輩は「誠」という言葉が好きでした。一片の「誠」は小さくとも、それは歴史を動かし、国の命運を支えるものです。

真木和泉守の神職としての生き方の中心は「誠」でした。「誠」には道を万世に開く力が存在します。

元楯の会の先輩たちが「誠」を持ち、繰り返し繰り返し、変わりなく同じ年に同じ祭り、「野分祭」を続けてこられました。感銘のほかはありません。「野分祭」を斎行することの意味深さをかみしめて、今回も真木和泉守になりきり斎主として斎行させてもらいます。

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だんじりの「試験曳き」

だんじりの「試験曳き」

当社の秋祭は10月20日・21日に執り行われます。しかし昨日の14日、だんじりの「試験曳(び)き」が行われました。今回、「試験曳き」に南寺方・北寺方・高瀬のだんじり3台が参加し、当社の前には4台のだんじりが勢ぞろいしました。

各町でそろいの法被をまとった曳き手が、「ソーリャ、ソーリャ」と威勢のよい掛け声を発しながら、だんじりを曳行されました。
 
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八紘一宇の街、大阪

八紘一宇の街、大阪

今年の6月18日に「大阪北部地震」、7月6日から8日にかけて「平成30年7月豪雨」、9月4日から5日にかけて関西を襲った「台風21号」、前後するように北海道を揺るがした6日未明の「北海道地震」は、それぞれ多大な被害をもたらしました。

被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。

ところで9月の下旬、大阪市在住の中国の友人は、故郷の大連へ帰ります。その友人が私に「台風や豪雨・地震、本当に日本は天災の多い国、人の住むところではないね。なぜ貴方は住んでいるのか」と問いかけてきました。

「日本には無数に神社とお寺があり、お墓があり、天皇様がおられる国、だから守られているので出て行かないのだ」と答えました。中国の友人は驚いていました。

堅苦しいお話しここまでです。

今年の夏、高校野球の応援で甲子園にやって来た秋田県の友人は「大阪はくそ暑いし、大阪人の声はうるさいし、派手なおばちゃんがウロウロしている、町の中は派手な看板ばかり、タクシーに乗ればどころから来たのか聞かれるし、テレビを見れば留置場から脱走する犯人もいるし、大阪は人の住むところではない」といっておりました。

大阪の街は東京と違って人と人との距離感がないのです。親戚と同じぐらいに近くにあるのです。東京では右を向いても左を向いても基本他人です。当社の氏子地域を見ますと、宮司の私の性格や趣味、子供や孫の数まで知っています。私の子供の時の成績や学歴・職歴まで知っています。私も同様に、氏子さんたちのことは、よく知っています。

このように大阪人は、人と人との距離感がないのですが、その分、親切心が強いのです。友人がタクシーの中で、運転手から「どころから来たんや」と言われたのは親切心があるからです。

たとえば街中で、外国人或いは日本人が観光の目的地を探すため、道端で地図を広げていると通りがかりの人が必ず「どこへ行くん?」って声をかけられます。そして行きたい場所を教えてくれます。行く先が不明なら「ちょっと歩いている兄ちゃん、ここ教えたって」というように聞きます。「いっしょに行ってやるわ」と言うぐらいに親切心が強いのです。

東京だと、向こうから聞かれないと教えないと思います。今回の「台風21号」で当社の周囲でも被害がありました。近所の皆さんが一軒ずつ「大丈夫か、何か手伝うことがあったら言うてなあ」と親切に訪ねて来られました。

大阪では隣の部屋の住人の顔も知らなかったりすることはありません。孤独な人間が集まっている都会が東京だと思っています。大阪は、ざわざわと騒がしい街だと思われていますが、社会生活を営む人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達、コミュニケーションを大切にしている街だからです。

そうです。大阪人は自分から声をかけるのです。誰かが道すがら倒れていたら「大丈夫か」と必ず声をかけてくれます。大阪人は気軽に声をかけてくる人が多いので、他府県から移り住んでも溶け込みやすいところです。

私は大阪と言う街は、神武天皇の橿原建都の令・八紘一宇の詔が生かされている街だと思っています。「世界は一家、人類は皆兄弟」なのです。


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中秋節(旧暦8月15日)について

中秋節(旧暦8月15日)について
中秋節は9月上旬~10月上旬にある中国のお月見の日で、中国では9月22日から24日まで休日となっています。中秋節は春節、端午節と並び、中国三大節句の一つです。1年でも最も美しい満月の見られるこの時期に行われます。古代中国では中秋節は祖廟を祀る日でもありました。

今の時代、中秋節は月見の行事です。月に住む美女やウサギのために、月餅を供え、家族で月見を楽しみます。その昔、中国が蒙古に支配されいた時代がありました。厳しい圧政下にあり、漢民族は蒙古軍に反抗する機会を狙っていました。一斉蜂起の計画を蒙古軍に知られることなく、人々に知らせるために、その旨を書いた紙を月餅に忍ばせて各家庭に配り、一斉蜂起は成功させ、明朝が樹立した、という逸話が残っています。

中秋節の時期に、我が国ではお彼岸となっています。元々この日はお彼岸であって、先祖を祭る日でありました。宮中では9月23日、秋分の日に秋季皇霊祭が斎行されます。また古くから、お彼岸に最も近い戊の日は、社日として氏子が氏神たる神社に参詣し、春は五穀豊穣を祈り、秋は実りある収穫に感謝する習わしがありました。

当社でも9月23日、秋分の日、午前10時から祖国日本の為、尊い命を捧げられた護国の御英霊をお慰め申し上げる為に、祖霊祭を斎行します。

不思議に神社の恒例祭と中国の伝統的な祭事は重なることが多いのです。例えば春分の日の春季皇霊祭は清明節、5月5日のこどもの日は端午節(龍舟祭)、9月9日の重陽の節句などがあります。

先月の8月24日に「大阪道教教会」に頼まれ、「知っていて知らないお宮のこと。恒例祭と道教との関係」という演題で講演をさせてもらいました。日中関係は決して良好とはいえません。「政治」とは別に「民間」で交流することが必要です。それで「大阪道教教会」
の講演を引き受けました。

25歳のときに1年半あまり中国に短期留学しました。中国医学、特に鍼灸医学を学び、中国各地の病院で研修させてもらい、中国の人たちと交流しました。そこで中国の伝統と文化に接することが出来ました。今回の講演は中国の文化や道教が日本に大きな影響を与えた具体的な例を拾ってお話させてもらいました。

私たちのご先祖は中国の文化も良いところを取り入れてきました。それを上手に育み発展させてきたのが日本文化なのです。日本風にアレンジしながら大切に今も残して来たものが多くあります。その一つに神道の祭祀です。2時間の講演でしたが充実させていただきました。
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「天皇陛下御即位30年をお祝いする府民の集い」

「天皇陛下御即位30年をお祝いする府民の集い」
「平成の御代」の最後の夏、平成30年8月18日、「天皇陛下御即位30年をお祝いする府民の集い」がシャラトン都ホテル大阪で執り行われ出席しました。奉祝行事としては全国に先駆けた行事でした。

今上陛下は、平成31年4月30日に御譲位され、翌5月1日、皇太子殿下が践祚されて第126代天皇となられます。来年の御代替わりまで全国各地で奉祝報謝の式典が行われると思います。

今回の「天皇陛下御即位三十年をお祝いする府民の集い」には大阪府知事・大阪市長・堺市長や経済界の代表者らが出席されました。式典において天皇陛下のご健康と皇室のいやさかをご祈念申し上げられました。

「天皇陛下御即位三十年をお祝いする府民の集い」の式典内容は下記の通りです。

日 時 平成30年8月18日(土)14時~16時45分
・会 場 シェラトン都ホテル大阪 「大和の間」・「浪速の間」
・会 場 シェラトン都ホテル大阪 
・内 容[第1部]奉祝大会
・オープニング 冨永流 浪速神楽
・式 典 各界代表による挨拶
大阪府知事、大阪市長、堺市長の挨拶。経済界代表の挨拶。
・講 演 松浦 光修 氏(皇學館大学教授) 「天皇陛下の大御心と祈り」
・清 興 浪速高等学校・中学校 吹奏楽部 学院曲「海道東征 浪速」

今回、1000名ほどの参加がありました。大学の後輩、松浦君の講演があり、講演の内容がすばらしかったので感動のあまり泣かれている人も見受けられました。

また浪速高校の後輩たちが「海道東征 浪速」を演奏してくれました。「海道東征」は、北原白秋詩、信時潔曲による交声曲です。昭和15年(1940)皇紀2600年を祝賀する奉祝曲として作られました。

しかし敗戦後は占領軍により事実上の封印状態におかれました。浪速高校は許可を得て「海道東征」を学院曲として復活させ「海道東征 浪速」としたのです。すばらしい演奏でした。

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ところで、この度の「御譲位」は、天皇陛下の御意思を尊重されて行われます。平成28年8月8日、天皇陛下のお言葉により、「御譲位」のご意向を国民にお伝えになられました。

お言葉、

既に八十を超え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、
これまでのように全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと、案じています。
 
この「お言葉」即ち「天皇陛下の御意思」によって御譲位が平成31年4月30日に行われます。しかし安倍内閣は「憲法改正」を叫びながら、「日本国憲法」の第一条から第八条を改正せず、「皇室典範」の枠内で単なる「退位」ということで決着をつけました。

天皇陛下の御意思は「御譲位」であり、「退位」ではありません。もちろん、「御譲位」の実現には安倍内閣として、森友学園・加計学園問題など超えがたいいくつかのハードルがあったと思います。何より憲法四条で天皇は国政不関与が明記されていますから天皇陛下のご意向を受けて法改正するという流れにはできないということでした。

その結果、「皇室典範」第4条の特例を設けて制定させたのです。それが平成29年6月16日公布の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」でした。

「日本国憲法」には天皇の御譲位と上皇の規定はありません。「日本国憲法」では今上陛下は、御自ら、皇統を皇嗣即ち皇太子に「譲る」ことはできません。ただ「退かれる」だけです。

安倍内閣は「戦後体制からの脱却」をスローガンに「日本を取り戻す」ことを目的としていました。そのために「憲法改正」をマニフェストに入れていました。前述した事由により「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を公布させました。これにより今上陛下は、御譲位によって「上皇」となられます。この意義は大きいと思います。ある意味、「日本国憲法」を越えたものです。これをチャンスとして「戦後体制からの脱却」を図るべきです。


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「君が代」の最高裁判決。

「君が代」の最高裁判決。
時事ドットコムから引用します。
卒業式などの君が代斉唱時に起立しなかったことを理由に退職後の再雇用を拒否されたのは不当として、東京都立高校の元教員ら26人が都に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は19日、都に賠償を命じた一、二審判決を取り消し、請求を棄却した。元教員側の逆転敗訴が確定した。

 元教員は2006~08年度の再雇用選考で不合格とされており、都教委の判断に裁量権の逸脱があったかどうかが争点だった。
 
山口裁判長は、再雇用の合否判断について、「基本的に任命権者の裁量に委ねられている」と指摘。当時は、希望者が全員採用される運用が確立していなかったなどとして、「都教委の判断が著しく合理性を欠くものであったとは言えない」と結論付けた。

「君が代」の歌詞は平安時代の初期に編纂された『古今和歌集』(905)に収録されている詠み人知らずの短歌の1つがもとになっています。

我が君は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで

という和歌です。平安時代から「君が代」は、年賀の歌として歌われていました。しかし、鎌倉時代以降に年賀以外でお祝いやおめでたい時の歌として、披露されるようになっていきました。

「我が君」とは、誰を指しているのかという点で意見が分かれるところです。恋人と言う説もあります。そうすると男女の永遠の絆を歌った、と言うことになります。「我が君」を恋人と解釈しますと、末永く一緒にいたい願いが込められている和歌になります。

私は「カムロキ」「カムロミ」また「イザナキ」「イザナミ」の神さまが神話に出てくることから「キ」は陽・男、「ミ」は陰・女を指していますので、「我が君」の「キミ」とは男女を指しています。今でも「君」と言う言葉を使用しています。「君」とは「あなた自身」「あなた方」という意味になります。

拡大解釈すれぱ「君」は「国民」と言うことにもなります。日本に住む人々が力を合わせて、固い絆で一丸となり何千年も永遠に平和な世の中を築いていこう、という願が込められた歌が「君が代」です。

しかし明治時代から大東亜戦争までは、天皇へ捧げる歌として学校で教えられるようになったのも事実です。終戦により国歌を歌うことが禁止になった時期もありました。悲惨な戦争を繰り返してはいけない気持ちから、国歌に対して疑問を持つ人もおられることも事実です。その人たちの平和を永遠に望んでいる思いが「君が代」に反対されるのだと思います。
 
千年以上前の「君が代」が平成11年に国歌として制定されました。もともとの意味は長寿を祈念する歌であり、恋人の絆が永遠であるように願った歌でもありますので、軍国主義・国粋主義の復活につながることはありません。

ところで白川神道では「大祓詞」の中に「天つ祝詞の太祝詞を宣る」という箇所があり、次に「秘め事」を奏上しなければなりません。古来より神道家の間では、この「秘め事」とは何なのか議論の対象となっていました。白川流では「君が代」を2回唱えます。

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夏祭について

夏祭について
大阪の各地域では夏祭が行われています。当社も7月14日宵宮、15日本祭が行われました。この二日間で4キロほど痩せました。15日の午前11時に夏祭の神事を執行するわけですが、暑さのために礼装を着装できません。夏祭は中祭にあたり、神社本庁の定める「神職の祭祀服装に関する規程」の第三条に礼装は、中祭の場合に用ふ、とあります。

35度を越す暑さでは冠を被り、袍・袴とも白地のものを用いる斎服は着装できません。熱中症にもなったら大変ですので宮司・禰宜・権禰宜は白地の狩衣を着装しています。

狩衣は束帯や衣冠などに比べると立ち居振る舞いが自由にでき夏祭の神事には適していると思います。

秋の大祭には正装を着装します。冠(かんむり)を被り、神職身分に応じて定められた色の袍(ほう)や袴(はかま)を著けます。

ところで夏祭の起源は、疫病や地震・雷などの天災を鎮めようとして、平安時代初期に始まった祇園会(ぎおんえ)です。それが時代の流れとともに次第に夏祭の祭礼としての形を整え、賑わいを見せるようになりました。江戸時代中頃から神輿やふとん太鼓、だんじりが練り歩く現在の姿になりました。

今年の夏祭の前には6月18日には大阪北部地震、6月28日から7月8日にかけての西日本豪雨で甚大な被害がでました。災いが起きないように「鎮める」、それも夏の「まつり」の意義だと思います。7月15日午前11時の神事には被害に遭われた地域の復興祈願も兼ねて執り行いました。

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同性愛・同性婚について

同性愛・同性婚について
一昨日、勉強会で同性愛・同性婚についての講演がありました。講師の先生は大学の教授で米国のキリスト教系大学への留学経験があり、牧師としての立場から同性愛・同性婚について講義をされました。

会議には僧侶や神職が出席されています。時代の流れなのでしょうか、仏教界・神社界等では同性愛・同性婚は避けては通れない問題です。

私の場合、男性同士・女性同士の結婚式を行った経験もなく、相談されたこともありません。しかし私の友人の僧侶は頼まれて断ったことがあると。神道では神代の時代から結婚は男女の間に限られています。男性同士・女性同士の結婚式は想像もしなかったことです。

日本国憲法第24条1項に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」、2項に「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」と記されています。

この場合の同性は、男女間と言う意味です。日本では憲法上、同性同士の結婚が認められていません。同性カップルは法律婚をすることができません。

そのためにパートナーシップ制度があります。パートナーシップとは「法的に効力はない。しかし同性のあなた方は結婚していると認める」ということを証明するものです。

2018年6月、神戸新聞ネクスト調べを参考にして記します。日本ではパートナーシップ証明書や宣誓書が発行されている地域は7都市あります。予定されている都市は3都市あります。 

2015年11月~ 東京都世田谷区 71組
2015年11月~ 東京都渋谷区  28組
2016年4月~ 三重県伊賀市   4組
2016年7月~ 兵庫県宝塚市   0組
2016年7月~ 沖縄県那覇市   21組
2017年6月~ 北海道札幌市  42組
2018年4月~ 福岡県福岡市  18組
2018年8月予定 東京都中野区
2018年9月予定 大阪府大阪市
2019年4月予定 千葉県千葉市 

パートナーシップを結ぶには条件があります。
札幌市の場合を例に取ります。
申請条件は
①札幌市に居住し、かつ、住民登録があること
②20歳以上であること
③配偶者がいないこと及び相手方当事者以外のパートナーがいないこと
④近親者でないこと

私は同性愛・同性婚について勉強不足なので結論は出せませんが、同性愛の人たちにも人格もありますし、同性愛が偏見や差別をもって語られる社会に問題があると考えています。
性的指向で差別をしてはいけないと思っています。男女間の婚姻届を出さない「事実婚」カップルもおられます。「事実婚証明書」の発行も考えて神社界を含めて宗教界も同性愛・同性婚の問題を真摯に議論すべき時代だと思います。



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地震前の「電磁波」について

地震前の「電磁波」について
私は宮司の傍ら、鍼灸師・柔道整復師として「お宮の鍼・灸治療院」を営んでいます。宮司ではなく鍼灸整骨院の院長として、今回の地震で感じたことをブログで紹介させてもらいます

平成30年6月18日の朝7時58分ごろ、大阪府北部を震源とするM6.1、最大震度6弱の地震が発生しました。大阪では1923年の観測開始以来最大の地震となりました。気象庁の発表では大阪平野と六甲山地の境界部には、東西に延びる「有馬―高槻断層帯」という活断層帯が走っており、今回の地震はその東端付近で起きたものだ、と言うことでした。

幸いに当社は灯篭が倒れる被害もありませんでした。しかしながら不思議なことに地震が発生する2日から3日前の当社の治療院では、坐骨神経痛・リュウマチ・膝関節炎・うつ病・パーキンソン氏病の患者の症状が悪化しました。どの患者も地震後の昨日から症状は好転しています。

「気象病」と言う言葉があります。経験上、雨が降る前に、むち打ち症・坐骨神経痛・リュウマチ等の患者の症状が悪化する、ということが実感できます。うつ病・パーキンソン氏病・メニエール病の患者も天気に左右されやすいと思います。このように「気象病」とは、気象の変化によって症状が現れ、悪化する疾患の総称です。

「気象病」と同様に地震の前に鳥や動物の異常行動を起こすことは知られています。地震前に「動物やカラスが騒ぐ」というのを聞かれて事があると思います。このことは研究によってある程度判明しています。それは地震前に地下のプレートの変動や活断層のズレが生じて「電磁波」が発生し、動物や鳥はその「電磁波」を「危険察知」として感じているからだと言われています。

ここで簡単に「電磁波」について説明します。地震前に「電磁波」が発生する要素は二つあります。地下の地殻が割れて岩石に圧力がかかり、電流が流れ「電磁波」が発生し、地中に収まらずに地表に出てくる。もう一つに、地中の岩盤を溶かすほどの膨大な熱エネルギーが発生し、熱エネルギーによる「電磁波」が地中で収まらず地表に出てくる、ということです。

地表に出てきた「電磁波」は動物である人間も無意識に感じさせて、精神的にも肉体的にも、変調を来たすことがある、ということです。それは「危険が迫ってくる」ことを察知してるのかも知れません。実は私も大阪北部地震が発生する1週間前から不眠が続き睡眠薬を服用していましたが、地震後、睡眠薬を飲まずによく寝られています。

うつ病の患者も地震が発生する1週間前から自律神経が不安定になり頭痛と眩暈・不眠・耳鳴り等の症状を訴えていました。それも地震後、改善されています。

アメリカの医学者ウィリアム・レイ博士は、送電線・電子レンジ・テレビ・PC・携帯電話などの「電磁波」の影響を受けて症状が出る人のことを「電磁波過敏症」と命名されました。
ここでの「電磁波」とは、送電線からの変動磁場、テレビや携帯電話から出ている電波、マイクロ波や赤外線などのことを意味しています。

日本では「電磁波過敏症」は認知されていない病名です。EUのデンマーク・スェーデンでは「電磁波過敏症」は認知され、公的保険の適応となっているそうです。

地震前に体調を悪くする人達の多くは「電磁波過敏症」かも知れません。詳しくは知りませんが、地震の前に出る「地中電磁波」を京都大学・京都産業大学では研究されているようです。

日本は世界的に見ても地震大国です。何とか「地中電磁波」を解明し地震予知を高めてもらいたいです。


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