売国奴前原大臣

売国奴前原大臣
皇学館大学入学前の3月初め、私は奈良市の坪井先生の自宅に行き、「花谷、今から吉野へ行く、ついて来い。1泊するから父親に連絡している。ついて来い」と言われまして、タクシーで吉野まで行きました。先生の定宿は吉野館に決まっていました。二人きりで泊まることはないので、誰が来られているのか、楽しみでした。案の定、20人ぐらい来ておられました。私より数十年も年上の人ばかりでした。

70年安保が目前でしたので、戦前からの民族主義者がほとんどでした。坪井先生の講義は陽明学についてのお話しでした。坪井先生の講義の中で印象的だったものがありました。

歴史から声を学べ、その声は活声という。活声を学ぶことを活学という。この吉野の地から活学を学べ。この吉野の地には七生尽忠報国の活声が聞こえてくる。壬申の乱・南北朝の争い・幕末の天誅組の変、すべて変革は吉野から勃発している。この吉野から活きた声、活声を聞け。しかながら活学を学んで志を立て、国を憂いて起つ時を義挙という。失敗すると暴挙といわれる。このことを知れ。しかしながら志士とは大義に生きて大義に死するもの、結果は歴史が決めるもの

という内容でした。今でもこの講義の内容は忘れません。坪井先生から「花谷の家は、今は鶴見に居はあるが、今でも吉野が本拠地、お前の先祖はすべて変革に関わっている。皇学館大学へ入学してうれしく思う。平凡な神職になるな。幕末の神職、真木和泉守のような人物になれ」と言われました。

あれから43年も経ちます。今では鶴見神社の宮司となり、お宮の鍼灸整骨院の院長として、安定した生活をしていますが、還暦も過ぎ、いつまでも心に残るのは三島由紀夫先生や森田必勝先輩、大東塾の影山先生、朝日新聞の社長室で自決した野村秋介さん等のことばかりです。

アホの民主党の政権で、外交は屈辱外交、国内は小沢問題で党利党略ばかり、民政を顧みず、しかも外国から僅かといえ、政治献金をもらった前原大臣、あなたは最後の江戸幕府の15代将軍、徳川慶喜の爪のあかでも飲んだらどうですか。徳川慶喜は欧米列国の援助を断り上野の寛永寺に謹慎して外国に干渉させないようにしました。前原大臣、金銭の額ではありません。

私たちの時代が必ずやってきます。もし私が生きている時代にくれば、前原大臣、祖国を売った売国奴として処罰します。もはやあなたが国民に謝罪しても許しません。還暦を過ぎた同志たちよ、畳の上で死のうと思わないでほしい。こんな連中が政権与党になっていることを自覚してほしい。このままでは亡国の一途をたどるしかない。そろそろ最期のご奉公を考えようではないか。坪井先生の言うように、暴挙と呼ばれても前原大臣のような売国奴よりましではないか。そろそろ自衛隊も起ちあがり、チュニジア・エジプト・リビアのように国益を守らない政権を打倒して新しい政治体制の日本に改革しょうではないか。

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サザンカの咲く頃

はじめまして。
天誅組や吉村寅太郎については、早乙女貢氏が短編集「暗殺」で取り上げています。
興味がおありでしたら、ご一読下さい。
by サザンカの咲く頃 (2013-04-01 12:31) 

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