平泉先生と大川周明との関係

平泉先生と大川周明との関係
ここ4日間ほど、毎日38.2度ぐらいの高熱が続いています。もし高熱が取れなければマイコプラズマの肺炎を疑い、入院します。そのためにも力を振り絞りブログを書き続けます。

今日は平泉澄先生の思い出を語らせてもらいます。平泉先生と大川周明博士とは浅からぬ関係がありました。そのことは廣瀬重見氏「平泉澄先生と大川周明博士」(『日本』平成十九年十月號~十一月號)を拜見しましたので、それを紹介させてもらいます。

 昭和二年七月、平泉博士は大川博士に對し、其の論文「國史學の骨髓」を贈呈され、大川博士が「國史の研究に就て、向後はどうぞ生(大川博士)の導師たる勞を賜り度」(昭和二年八月二十九日附書翰)と申し出された事に起因し、大川博士は、

橋本景嶽は、維新の英雄中、最も八面玲瓏の人物であらう。高潔なる情操、透徹せる理智、而して實行の意力を兼備して居る。其の死は僅かに二十六歳の時だから、驚くべき夙成の天才である。‥‥予は平泉澄先生を見る毎に、景嶽を想起する
『大川周明日記』昭和十一年八月二十日條。同六十一年九月・岩崎學術出版社刊)

と。又た大川博士より九歳年少である「平泉澄博士は、當代の學者中、生(大川博士)が先生と敬ひて師事する唯一人」(柳澤一二氏宛書翰・昭和三十年四月二十七日。『大川周明關係文書』平成十年九月・芙蓉書房刊に所收)とまで告白し、「正しき明治日本史は、平泉先生の筆によつて傳へらるゝ事と奉存候」(同年五月八日附書翰)と、終生、道交の證を述べられました。

 平泉博士は大川博士に、其の號「寒林」横額の揮毫を求められ、又た大川博士の期待切望に應へて、『少年日本史』・『明治の光輝』・『日本の悲劇と理想』・『悲劇縱走』・『首丘の人――大西郷』等を陸續と物せられました。而して平泉博士は、大川博士の墓の文字を書き、大川博士は、北一輝の墓標を書いてをられます(共に帝都目黒の瀧泉寺墓地)。

然しながら平泉博士は、「あの方(大川博士)が分らない。何故、北一輝と親しいのか判らない」とも仰つてをられた由。北氏は佛蘭西革命を贊える民主主義者、傳統と歴史を重んじる平泉博士とは、絶對に相容れませぬ。平泉博士歸幽の半年前に、「結局は、大川博士は、私(平泉博士)と北一輝との中間に立つてゐた人です」と言はれたさうです(中村政夫氏の聞書き)。

○平泉澄博士の、大川周明博士への弔歌(昭和三十二年十二月二十五日・『山河あり』所收)

大いなる 我が悲みに こたへてや 雪空低く 山見え分かず

皆さんは大川周明という人物ご存知ないと思います。わたしは大天才だと思っています。
あの不当なる東京裁判の被告席で、東條英機のツルツルのハゲ頭をパンパン叩いて法廷の注目を集めた人物です。ついに狂人として免訴を勝ち勝ち取り、こんな大天才が狂人になることはありません。狂人を演じたのです。その後にコーランの邦訳を完成したのだから、天才です。

山形県出身。明治19年(1886)12月6日から昭和32年(1957)12月24日、日本主義の思想家です。東京帝大哲学科でインド哲学を専攻。卒業後、参謀本部依頼の翻訳などを行います。のち満鉄に入社、満鉄東亜経済調査局に勤務され、また拓殖大学教授として植民史、植民政策などを担当されます。

猶存社を結成。行地社を創立し、国家改造をめざし、軍部将校との結びつきも深められます。三月事件、十月事件に関与、五・一五事件首謀者に拳銃と資金を提供したため逮捕されます。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を提唱されました。

常に日中連携を提唱されており、日中間の戦争を望むものではなかったのです。大川周明の最大の目的が、アジアを白人から解放し、世界を天皇の指揮下に置くことにあのました。大東亜戦争を引き起こした東條英機に批判的な立場でした。『国際検察局尋問調書』第23巻に次のような記載があります。

最後の瞬間までこの戦争を望まず、1940年に、日本がもっと準備を整える時まで、戦争を引き延ばそうと努力した

肥田春充とともに日米戦回避のため開戦前夜まで奔走した史実があります。東京裁判で起訴された被告人の中では、裁判終了時に存命していて有罪にならなかった唯一の人物となりました。尋問の時には月曜日は英語・火曜日は中国語・水曜日はロシア語・木曜日はアラビア語・金曜日はフランス語を使用しないと尋問に応じなかった人物でした。土日は休みといって尋問を拒否されたこともあったそうです。

その後は、神奈川県愛甲郡中津村の自宅で過ごし、「瑞穂の国」を築く為の農村復興運動に取り組まれました。大川周明の墓銘は歴史学者平泉澄先生の揮毫によるものですが、平泉先生が存命中に、一度お聞きしたことがありました。大川さんの思い出を語られたことがありました。内容はよく覚えておりません。平泉先生に大川周明のお話しを真剣に聞かなかった自分に後悔しています。


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