奈良時代の方言

奈良時代の方言

今日は奈良時代の方言を万葉集の中から選び解説します。万葉集(4356)
巻14の東歌(あづまうた)の物部乎刀良(もののべのおとら)の歌を紹介します。この歌は奈良時代の駿河国(静岡県)の方言が歌に使われ、当時の大和地方の言葉とはやや違う異なった言語が使われています。

ちちははがかしらかきなでさくあれていひしけとばぜわすれかねつる
知々波々我可之良加伎奈弖佐久安例弖伊比之氣等婆是和須礼加禰豆流

父母が頭(かしら)掻き撫で幸(さき)くあれて言ひし言葉そ忘れかねつる

意味: わが父と母が頭を撫でて、私のために元気でいろと言った言葉か忘れられない

背景:
 いま、息子は防人(さきもり)として旅に出ようとしています。しかし国を守るといっても、当時の東国の農民には、問題が大きすぎて、実感がありません。本人にも家族にも、あるのはただただ別れの悲しみ。防人はほとんど生きて帰れなかったようですし、とくに年老いた父母は、もう二度とわが子と会えないでしょう。 両親ははとめどもなくあふれ出る涙を、こらえることができません。そのことを想像してください。そうすればこの歌の悲しさが理解できます。む  
 
両親のしてやれることは無事を祈ることだけです。わがこの頭を、いつまでもいつまでも撫でまわす。撫でてひたすら平穏を祈ります。息子には自分が赤ちゃんだったころに戻っていくのを感じたでしょう。そして元気でいろよ、といった言葉が、今も、忘れることはない、とあります。
 第2句の「さくあれて」は方言で、「幸くあれて」の意味で、第4句の「いひしけとばぜ」も方言で「言ひし言葉ぞ」という中央語の意味でしょう。

今日現在も西日本の方言と関東語の方言の違いが引き継がれていますが、奈良時代においても、このように確認できます。私も東京で講義をしていたときに、「教室をきれいに片付けなさい」を「教室をきれいになおしなさい」といったところ、学生に「何を修理したらよいのですか」と言われたことがあります。また関西では「押しピン」と言いますが、関東では「画鋲」(かびょう)になります。


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