「念法眞教・金剛寺」立教85年の法要に参列して

「念法眞教・金剛寺」立教85年の法要に参列して

昨日、私どもの鶴見神社の氏子地域にあります「念法眞教・金剛寺」の立教85年に当たりますので、その法要に参列させてもらいました。「念法眞教・金剛寺」は大正14年8月3日、開祖小倉霊現(おぐられいげん)大僧正(親先生)の夢枕に立たれた阿弥陀如来(あみだにょらい)のご霊告(れいこく)に基づいて立教開宗された教団です。先代と開祖小倉霊現氏とは関係がありまして、いつも先代は神社も小倉霊現氏のようにわかりやすく説明すれば理解してもらえるのに、といつも言っておりました。子供のころに小倉霊現氏に「ええ宮司なりや」と言われたことがあります。「ええ宮司なりや」という意味が分からなかったのですが、「氏子のために住みよい世の中をつくるために努力しいや」ということが最近わかりました。

ところで法要には、仏教会の重鎮ばかり参列されておりましたが、神社界も靖国神社宮司・明治神宮宮司・神社本庁統理・大阪府神社庁庁長・兵庫県神社庁庁長・熊野那智大社宮司・熊野本宮宮司・熊野速玉神社宮司・猿田彦神社宮司といった重鎮が参列されました。

その中で鶴見神社が一番小さな神社ですが、「念法眞教・金剛寺」も氏子に当たりますので参列させてもらいました。厳かに立教85年の法要が行われましたが、来賓の挨拶で大本の代表出口紅さんに久しぶりにお会いしました。大本は国之常立神の神示を立教の原点とする教派神道系の教団です。開祖出口なおさんに、国常立大神の神示が降りました。同じく霊能者である出口王仁三郎氏と明治31年に出会い、大本として独立することになります。王仁三郎は、出口なおの娘婿となり、後に養子となり、やがて戦前の日本において、有数の巨大教団へと発展して行きました。しかしながら戦前の大弾圧や20数年前には内紛による分裂などによって、どんどん廃れていく一方に見えます。最盛時には700万とも800万とも言われた信徒数は今や10数万人に過ぎません

私の師匠の横井と四代目の出口聖子さんと交流がありました。その関係で「大本」は身近な存在です。紅さんは聖子さんの姪にあたり、聖子が死ぬ直前に聖子の養子となって5代目を継承されました。昨日、出口紅さんにお会いしまして、これで大本もうまく治まり発展して行くと思いました、なぜならば出口紅さんの姿から「神気」が出ていましたので、うまく行きます。日本の立て直しには出口紅さんの「神力」が絶対に必要です。最盛期の「大本」のように復活されると確信しました。

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