教育とは戦勝国が作るもの

教育とは戦勝国が作るもの

昭和44年当時、私は伊勢市にある皇學館大学の学生でした。当時の総長は岸信介先生でした。安倍元総理のお祖父さんに当たる人物です。昭和の政界の怪物とか言われた政治家でした。年に数回ほど大学で講演していただきました。昭和44年当時、全国の大学で左翼系の学生運動が盛んでした。岸先生は、日本人が失った誇りと栄光を取り戻すために、いろいろなお話しを直接聞くことができました。

ある時、岸先生はインドネシアのムルデカ(独立)広場中央に聳える高さ約140mの独立記念塔(モナス)がある。この地下1階に、インドネシアの「三種の神器」が奉納されている。その三種の神器とは、独立宣言書・独立時に掲揚された国旗・国章のことであり、一番大切な神器は独立宣言である。スカルノとハッタがサインした独立宣言書であるが、ここに記された日付は「05年8月17日」、ということになっている。

インドネシアが独立を宣言したのは西暦1945年。なのに、日付に記された年は「05」年になっている。実は、この「05」年は、当時、「昭和」と共に日本で使われていた「皇紀」(神武天皇の即位した紀元前660年を元年とする)で、「2605」年が略されたものである。

なぜ、スカルノとハッタはインドネシア独立宣言書に日本独自の紀年法である「皇紀」で年月日を記載したのか? そこには、インドネシアの独立に深く関わった「日本」の存在があったのである。 

「日本は悪いことをした」などというのは戦後GHQが行った洗脳工作の残骸であり、その残骸に左翼やマスコミは今でも必死にしがみついている。日本人よ、もっと自信と誇りを持たなければならない。

というお話しを学生時代に聞かされていました。私は、歴史は、先人たちの繰り広げた人間ドラマであると考えています。ドラマに登場する人達の立場に立って考えないと理解できません。私たちが中・高校で習った日本史の著者や先生は、どの立場に立って歴史を解釈してくれたでしょうか?

歴史の解釈をする見方を「史観」といいます。同じ事件の原因とその結果を論じるとき、「史観」が異なると反対の意見が生ずることになります。「史観」は物理学の理論のように「結論」はこうだと言えるものではありません。

私は、勝てば官軍で、連合国側から、日本国民の洗脳を行うため、日本を、全て否定的に教えることが厳しい言論統制下で指導され、連合国側の否定的面は教えず、教科書もそれに沿って編集されたと考えています。その当時の教育関係者や、マスコミは保身のため、これに協力していた結果の見方が今日の中・高校での日本史だと思います

私は、戦争そのものについても、戦勝国が善で、戦敗国が悪、という不思議な理論が後付で導入され、突き詰めて考えれば、限りある領土や資源などを奪い合うために国単位で行う生存競争に過ぎない、とさえ言えると考えています。そのよい例が尖閣諸島の領有権問題です。結論を言えば、戦後の世界は、何処の戦争でも戦争に勝った国が歴史を作っている、ということです。

教育についても、日本が負けたが故に、それまで日本がやってきたこと全てを否定し、良いことであっても悪いことだと教えるように、アメリカに指示されたのが真実です。ただ、一概に日本が悪かったと捉えるのは、あまりにも暴力的です。あの戦争によって日本が他国にもたらした利益も当然あります。それらを踏まえて考える必要があります。ただ、現代においても日本が一方的に悪いとしか教えていないようなので、真実が知りたいとなると、個々で資料を探して調べる以外に方法はありません。岸信介先生はそのことを私たち学生に伝えたかったのです。

ところで、インドネシア共和国元首相モハマッド・ナチール氏は次のように述べています。
大東亜戦争というものは、本来なら私たちインドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。もしあの時私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。


インドネシア元情報宣伝相 ブン・トモ氏
我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。

我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、「これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる」と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。

イギリス 歴史学者 アーノルド・J・トインビー氏
英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。

なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。


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