黒住教の開祖、黒住宗忠と朝日

黒住教の開祖、黒住宗忠と朝日
皇學館大学の学生の頃、すばらしい先生方や教授の先生に恵まれ、神道や正しい日本の歴史を教えていただいたことについて、今でも感謝しています。神道概論の先生に谷省吾教授がおられました。後に学長までなられた先生です。谷先生自身は学徒動員で海軍予備学生となり、終戦後は中尉にまでなられておられました。海軍将校とは思えないほど、物静かで講義は淡々としたものでした。同じ神道の教授で鎌田純一先生は、伊勢市育ちで東京の国学院大学を出られ、やはり学徒動員で海軍中尉でした。鎌田先生の講義は大声ではっきりとしゃべられ、谷先生とは対照的でした。鎌田先生は今上陛下の側近としてご活躍されています。

谷先生の講義や著書の中に、黒住教の開祖、黒住宗忠のお話しがありました。大学のとき、確か黒住という名前の後輩がいたという記憶もあります。谷先生の講義を思い出して黒住宗忠のお話しをします。

黒住宗忠は、江戸時代の安永9年(1780)11月26日、備前国(岡山県)御野郡中野村の神社の禰宜(神職)の家に三男として生まれました。備前藩の藩主から表彰されるほどの親孝行で、「黒住の孝行息子」と呼ばれるほどの評判のよい人物でした。そんな親孝行の宗忠にも不幸が次々に襲います。文化9年(1812年)8月、実母が腹痛のため寝込んでしまい、次いで実父も同じような腹痛となり、相次いで返らぬ人になってしまいました。その不幸は宗忠自身にも襲いました。宗忠は肺結核になってしまったのです。喀血する日々が続きました。

そして文化11年(1814年)11月11日、今日が最期の日と覚悟した宗忠は、どうせ死ぬならば、せめて朝日でも拝もうと思い、家人に命じて布団を縁側に引いてもらいました。家人も最期の頼みを聞き入れたのです。そして宗忠は冬至の朝の太陽を浴びます。

その時、宗忠の胸に太陽の光が入り、天照太神と一体となる不思議な体験をするのです。「天命直授」と言われる不思議な体験でした。その後、三日間、何が面白いのか、笑い続けたと伝えられています。その結果、肺結核が治癒してしまいました。

それ以後、どんな病気の人にも「天照大神を1日1万回唱えなさい」、そうすると病気が治る、ということを指示したりするようになりました。ある時、それでも病気が治らないと今度は「1日2万回、天照大神」を唱えなさいと指導しました。宗忠の教えは一般人にも理解しやすく、朝日を拝む日拝が基本です。人間は万物生成の根幹である太陽の神、天照大神の御神徳を頂戴しているのであるから、

有り難き また面白き 嬉しき

の誠で毎日を過ごすことである。宗忠の説く誠とは、心の中に感謝の心と面白いという心と、嬉しいという心が絶えない状態を言っているのです。

「天命直授」を経験した宗忠は、その後、様々な宗教的活動を始めました。例えば宗忠の家に大勢の病人が集まり、患部をさすって「ふっ」と息を吹くだけで治すという奇跡が次々に起こったそうです。

このような黒住教の開祖黒住宗忠の講義を大学時代に聞きました。私が思いますのに、太陽を拝む宗教は古今東西にわたって数え切れないぐらいあります。太陽の光を浴びることによって動植物は免疫力が強くなります。医学的に自律神経やホルモンバランスなども正常化することが知られています。万物のすべては太陽の恵みで生きている、といっても過言ではありません。人間の日々の食事も太陽の光によって与えられています。太陽、朝の太陽、朝日を感謝して拝むという行為、「お天道様に拝む」行為は、天照大神さまを拝む基本ではないかと思います。亡くなった祖父母も朝日に手を合わせていました。

以前に青森市三内字丸山において発掘中の三内丸山古墳の遺跡で、朝日を拝む埴輪を見たときに涙が出るほど感激しました。古代の日本では、太陽は今以上に身近にありました。古代人にとった太陽は、食物や万物を生成してくれて、しかも人間の生命も保証してくれる神さまであったのです。そのため、日の出や日没の太陽をよく拝む習慣がありました。

医学的にも脳内物質、ハピネス・ホルモンと呼ばれるセロトニンが、太陽の朝の光を浴びることによって増えることがわかっています。セロトニンは免疫力を増強したり、ボケ防止にも役立つそうです。

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コメント 3

備中處士


花谷宮司樣 硯北

 初めて書き込ませて戴きます。

 「平成天皇」と。其の正否を御示教ください。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t7/4

 年來の疑義、明確な埀示を欲してをります。何卒よろしく御願ひ申し上げます。謹白
 
by 備中處士 (2011-03-05 07:58) 

備中處士

拜復

 御示教、洵に難有うございました。

 神仙道の御方も、昭和時代に、「昭和天皇御宇」と書かれてをられました。貴日乘にも、「鎌田先生は平成天皇の側近としてご活躍されています」とありましたので、御伺ひ申し上げた次第であります。

 此のコメントは、削除して下さい。小生も平泉門下です。ご迷惑をおかけしました。謹白
 
by 備中處士 (2011-03-05 22:35) 

クロマニヨン人

ありがとうございました。
これからも心の太陽が雲って隠れてしまわないように生きていきたいと思います。
by クロマニヨン人 (2011-03-09 22:13) 

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