生駒山・金剛山・六甲山の名前の由来

生駒山・金剛山・六甲山の名前の由来
子供のときから大阪人は生駒山・金剛山・六甲山、この三つの山に思い入れが強くあります。私の場合、朝、起きれば境内の東の方向に生駒山が見えます。大阪平野と奈良盆地を南北に横たわる生駒山脈を見ながら育ちました。生駒山の由来は、渡来系の人々が馬を放牧したために、生駒山は、「いこま」の音に使用されている漢字から「生き駒(馬)の形をした」山とされてきました。

しかしながら当社の鶴見神社から見ても、生駒山は「馬」の形には見えません。奈良市から見ても「馬」にはみえません。「馬」の背中を想像したらよいのではないでしょうか、と言われても「馬」には見えません。

大和言葉で解釈しますと「生駒」の「い」は接頭辞で「確かに」「確実」にという意味があります。「こま」は「くぉーむわ」は円形の幼児が遊ぶ独楽の意味であると思います。独楽をひっくり返したような山が「生駒山」の意味なのです。

次に金剛山ですが、中学・高校と冬の耐寒訓練で2月ごろに金剛山の頂上を目指して登りました。残念ながら金剛山の頂上は奈良県側にあります。母校浪速高校の校歌の一節に「生駒金剛見晴るかし」というのがあります。大阪側からの登山客が圧倒的に多く、私たち大阪人にとっては「大阪の山」なのです。
 
金剛山は古来、「葛城山」若しくは「高天山(たかまやま)」と呼ばれていたことがあります。渡来人が故郷の朝鮮にある金剛山からの名前から由来からきているという説もあります。
また今から約1346年前の天智天皇4年(665)役の小角(役行者)が16歳の時、この山に登り、霊気を感得、長い修業の後、「金剛山転法輪寺」を建立、併せて自分の祖先である一言主神を祀るため「葛木神社」を創建しました。それで金剛山と呼ばれるようになりました。

次に六甲山ですが、大阪人にとっては神戸の山ということですが、わが阪神タイガーズの球団歌「六甲おろし」を子守唄のように聞きながら育った私には、六甲山よりも「六甲おろし」の方が馴染み深いのです。しかしながら有馬温泉・六甲山の人工スキー場など年間通して幾度も遊びに行く山です。

六甲山の由来は、神功皇后じんぐうこうごうが三韓征伐からの帰途、六つの甲かぶとをこの山に埋めたという伝説に基づいて、名付けられたと言われています。しかしながら、「古事記」や「日本書紀」に登場する神功皇后の三韓征伐は、西暦391年頃と思われます。「六甲山」とはっきりと文献に登場するのは、貝原益軒の「有馬温泉記」などの江戸時代からなのです。
 
それまでは奈良・平安時代には、「牟古山」・「務古山」・「六児山」などと表記され、いずれも「ムコヤマ」と呼んでいたと思われます。それはこの地帯は古くから「むこ」の名称で呼ばれ、武庫、務古、牟古、六兒、無古などの字が当てられており、「日本書紀」神功皇后摂政元年の条には「務古水門(むこのみなと)」の記載があるからです。

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なかむらやすを

学窓千里の眺めありですね!
by なかむらやすを (2014-01-27 18:55) 

山岡正展 堺市

学生時代まで生駒市でしたが社会人は仕事で5箇所以上渡り歩き最後、堺市に辿り着きました。生駒市や特に奈良市側から見ると馬の鞍(乗るイス)に見えるのは良く理解できます。若草山あたりからみると・・恐らく大和から見たのだと思います。生駒の地名、音色は前から気になっていましたが、今回、馬から由来しているということかが分かり連想が働きました。有難うございました。61歳になり納得しました。
by 山岡正展 堺市 (2022-05-21 12:28) 

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