祖霊祭について

祖霊祭について
昨日、9月23日午前10時から鶴見神社の境内地にある祖霊社で「護国祭」が執行されました。今年は社殿・九鬼稲荷社・住吉社・祖霊社が「平成の大改修」の最中ですので、本来ならば祖霊社の神前で執り行う「護国祭」も参集所で執行しました。

年々参列される遺族は少なくなりましたが、先代から「少人数となって誰一人参列者が来なくなっても宮司一人だけでも、英霊を顕彰し慰霊する祭祀を執行せよ」と言われていましたので、参列者が少なくとも覚悟の上です。

かって大阪市の東のはずれの鶴見において、70年前の昭和10年代に、鶴見神社で戦勝祈願祭を執り行って、戦場に出征し国家の存亡を賭けた戦いに殉じた多くの人々がいました。鶴見で育った彼らは愛するものを護る為、悠久の大義に生き、その尊い命を国に捧げられました。

私は最後の瞬間、彼らの脳裏をよぎったものは、何であったのだろうか、と考えたことがありました。祖国に残した父母か、妻子か、恋人か、しかし彼らが脳裏によぎったのは、祖国日本の大阪の片田舎、故郷の鶴見の村が恋しかったのではないでしょうか。21世紀にもなった現在でも、南太平洋・フィリピンやニューギニア等の深いジャングルの中で数十万の遺骨が残されたままです。どんなに故郷の鶴見が恋しかろうと思います。英霊は今も迎えを待っている、と思います。

私は太平洋戦争とは言いません。なぜならば昭和16年12月8日、米英へ宣戦布告した日本帝國政府は、昭和16年12月12日の閣議決定によって昭和12年7月7日の中国大陸における戦闘以降の戦争を「大東亜戦争」呼称することにしたからです。ところが昭和20年8月15日の敗戦後、GHQは日本弱体化政策を猛烈に推し進めました。その一端として昭和20年12月 2日、進駐軍の覚書によって、本来使用されていた多くの日本語を国粋主義的、軍国主義的な言葉として使用を禁止しました。「大東亜戦争」から「太平洋戦争」という呼称に塗り替えられてしまいました

日本国政府は占領終結後の現在に至っても「大東亜戦争」の呼称は使用していません。「太平洋戦争」という呼称は、日米による太平洋に局限された戦争をさすGHQ側の呼称であります。私は歴史家として当然に「大東亜戦争」と呼んでいます。

日本列島に住む日本人の人口は、約1億3000万人と言われていますが、日本人の「生」が、平成23年の今あるのは、誰のおかげか、といえば亡くなられた英霊のおかげだと思います。終戦から66年も経ちましたが、靖国神社において英霊を顕彰し慰霊する行為は憲法違反だと思っているバカな民主党の前菅総理や仙石さんたちがおります。靖国神社や鶴見神社の祖霊社に参拝することが、そんなに罪悪感にとらわれる行為なのでしょうか。純粋に英霊を慰霊し未来に永久の平和を祈念する行為が、政治的・思想的・宗教的にも大きな問題があるのでしょうか。


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kebi

今日、靖国神社に行ってきました。
靖国神社に祀られている246万6千余柱の英霊の方々に感謝の意を伝え、その御志を受け継ぎ、あなた方の名誉を回復したいと申し上げました。
今の学校教育は自虐史観を教え祖国の為に戦われた英霊の真実を何一つ教えません。
己を犠牲にしてまで国家、郷土、家族を護ろうとした英霊たちは後に続く者たちを信じ散っていったのです。
この真実をすべての日本人が知ることができるよう政治家は尽力すべきと思います。
by kebi (2011-09-24 21:26) 

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