山鹿素行先生と「中朝事実」

山鹿素行先生と「中朝事実」
元和8年8月16日(1622年9月21日)、山鹿素行先生は浪人の山鹿貞以の次男として陸奥国会津若松(福島県会津若松市)で生まれます。名は高興・高祐、幼名は佐太郎、字は子敬、通称は甚五左衛門、号は陰山のち素行と名のなれます。

寛永5年(1628年)6歳で、町医を開業する父と共に江戸に行かれました。寛永7年(1630)、山鹿先生は9歳で林羅山の門人となり朱子学を学ばれました。15歳からは甲州流軍学者小幡勘兵衛や北条氏長のもとで兵学を学ばれました。

山鹿先生は僅か21歳で甲州流(武田流)兵学を修め、印可を受け「兵法神武雄備集」を書かれました。神道や歌学など様々な学問を忌部神道の廣田坦斎、高野山按察使院光宥から学ばれました。

山鹿先生は、江戸では秀才で有名でした。各大名から出仕するように声がかかったのですが、承応1(1652)年、先生が31歳のときに初代赤穂藩主浅野長直に禄高一千石で仕えました。翌年の承応2年に赤穂に赴き、明暦2年(1656)に「武教小学」「武教要録」「武教全書」などを著し山鹿流の兵学を完成されました。万治3年(1660)年浅野家を致仕(ちし)。再び江戸で講義をされます。

このころから朱子学に疑問を抱き、その観念論化を批判した「聖教要録」を著したため、幕府に忌まれ、特に会津藩主保科正之を怒らせ, 寛文6年(1666)10月、赤穂藩に配流(はいる)となりました。寛文9年(1669)、有名な「中朝事実」(ちゅうちょうじじつ)を著されます。万世一系、皇室が連綿と続いている日本は、三種の神器が象徴する智仁勇の三徳において中国よりはるかに優れている、日本こそ世界の中心にある国だと説かれました。また山鹿先生は、天皇に対する忠義こそ、真の忠義だと説かれました。

配流は延宝3年(1675)までの9年間におよびました。8月江戸に帰り、その後の10年間は軍学を教えた私塾を開き軍学を講じられます。貞享2年9月26日(1685年10月23日)に亡くなられます。墓所は東京都新宿区弁天町1番地の曹洞宗宗参寺にあります。また赤穂城二の丸門跡そばに山鹿素行先生の胸像があります。

9年間の配流のときに、赤穂義士の中心人物、赤穂藩国家老石内蔵助(くらのすけ)は、8歳から17歳のときでした。彼を始め赤穂藩士の教育を山鹿先生が行うのですから、幕府の将軍の忠義より、天皇の忠義が真の君臣の義と言うことを叩き込まれたと思います。それが四十七士の赤穂浪士による忠臣蔵となって歴史に残されるわけです。


君臣の義を中心とした山鹿素行先生の思想を最もよく理解して実行されたのが吉田松陰先生です。松陰先生は、代々山鹿流の兵学師範だった吉田家を継いでおられます。松陰先生は山鹿素行先生を「先師」と呼んでおられました。

松陰先生の孫弟子になるのが、乃木希典将軍です。乃木将軍も「中朝事実」を愛読されていました。日露戦争の旅順陥落後、乃木将軍は敗将ステッセル将軍に武士道の礼をもって接しました。水師営の会見後の別れの挨拶のとき、乃木将軍は、ステッセル将軍に下記のような提案をしたと伝えられています。

将軍がロシアへの帰国を望まれるなら、そのように取りはからいましょう。帰国されて身の危険があるならば、日本に滞在され、京都に知恩院という寺があります。そこを宿舎にされてはいかがでしょうか。

ステッセル将軍は乃木将軍に感謝したが、我が身の上については皇帝の意向に従わなければなりません、と答えたそうです。後にステッセル将軍は皇帝に電話したところ、皇帝は将軍に冷たく、勝手にせよと言ったといわれています。その後、10年間投獄されました。投獄されたと聞いて乃木将軍は、皇帝に罪を許すように嘆願書を送っています。

武士道に生きた最後の古武士、乃木将軍は、明治天皇の大葬に際して殉死されました。その前日、乃木将軍は自費で刊行された山鹿素行先生の「中朝事実」を、学習院院長として養育に当たっていた迪宮裕仁親王(昭和天皇)に献上されました。献上の折のただならぬ様子に裕仁親王は「院長先生はどこかへゆかれるのですか」と発言されたのは有名なお話しです。

山鹿素行先生の「中朝事実」を読みますと、尖閣諸島を脅かす根幹に、中国は外国よりも勢力も強く、倫理的にも優れるという中華思想があると思います。山鹿素行先生は「中朝事実」で、この中華思想に反論されたのです。中国を歴史的に見ますと、王朝が何度も替わって家臣が君主を弑することが何回も行われています。君臣の義が守られてもいない証拠です。これに対し日本は、外国に支配されたことがなく、万世一系の天皇に民が君臣の義を守っている。中国は中華ではなく、日本こそが中朝(中華)であると説かれています。この考え方に共鳴できます。

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