弓始神事

弓始神事
全国各神社には特殊神事というのがありました。江戸時代末期まで全国津々浦々にありました。今でも存在しているのもありますが、伝承されずになくなってしまったものもあります。鶴見神社を例に取りますと、江戸時代に弓始神事(ゆみはじめしんじ)というのがありました。江戸時代のことですので、旧暦の正月十日の早朝に執行された神事です・

神事の主役は、浄衣に身を包んだ2人のお百姓さんです。まず、神殿に向かって丁寧にお辞儀をし、氏子地域の無病息災・無事と五穀豊穣を祈願します。さらに神殿の前で的に拝礼した百姓さんは、神事の開始を告げ、10本ずつ神矢を放ちます。的の中心に多くあたった年は豊作といわれています。要するに弓の占いです。

鎌倉時代を知る上で重要な史料「吾妻鏡」には、「御弓始」「御的始」として記されており、当時は正月だけではなく御殿などの新築に際して行ったようです。「吾妻鏡」に最初に記されている「御弓始」は、治承4年(1180)年12月20日の新造御亭の酒宴におけるものでした。

古くから弓矢には、その武器としての力から災いをはらう呪術的な力があると考えられていました。また、矢が人の手を離れて人の知りえない方向へ飛んでいく様から、物事を選ぶ占いの手段とされてきました。「白羽の矢が立つ」という言葉にも、弓矢の呪術性があらわれています。

この様な弓矢を使ったのが、弓始神事です。多くは一月十五日前後の小正月(こしょうがつ)に、新年の災いを追い払うために、神社の境内などで弓が射られます。また、命中の有無で神様の意志を示していただき、その年の豊作凶作や天候を確認する場合もあります。

山間部では、狩猟の成功を祈願するために行われる場合もあります。この様に、普通に弓矢を射ることを歩射(ぶしゃ)といいます。一方、馬を走らせながら弓を射る儀式を特に弓矢には、その武器としての力から災いをはらう呪術的な力があると考えられています。また、矢が人の手を離れて人の知りえない方向へ飛んでいく様から、物事を選ぶ占いの手段とされてきました。「白羽の矢が立つ」という言葉にも、弓矢の呪術性があらわれています。この様な弓矢を使ったのが、御弓神事です。

多一方、馬を走らせながら弓を射る儀式を特に流鏑馬(やぶさめ)といいます。流鏑馬を含む弓馬礼法は、寛平8年(896)に宇多天皇が源能有に命じて制定されました。また『中右記』の永長元年(1096年)の項などに記されているように、馬上における実戦的弓術の一つとして平安時代から存在しました。

鏑流馬は、鎌倉の鶴岡八幡宮で行われるものが有名ですね。しかしながら京都の下鴨神社では5月3日賀茂祭(葵祭)の前儀として流鏑馬馬場において流鏑馬が執行されます。公家の装束(束帯)を着用しての流鏑馬で他には見られない流鏑馬です。

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