昨年の今日

昨年の今日
昨年の今日、つまり平成28年7月13日、NHKテレビから「天皇陛下“生前退位”の意向」が報じられました。ついで平成28年8月8日、ビデオにより「象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉」が各局から放映されました。

今上陛下親らが国民に向けてお話なされた「おことば」の持つ意味は甚だ深く重かったと思います。特に陛下の「社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか」についての御自身のお考へを述べられたことにより、それに対して国民の理解を求められたことに、私は恐懼の至りの思いを懐かずにはいられなかったです。

早々政府においても内閣官房に「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設置されて議論を行われ、陛下の「お気持ち」に少しでも対応しようとする努力が重ねられてきたと思います。

その結果、平成29年4月21日に「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は、今上陛下の御譲位を可能とする特例法を整備するとした国会の考えを前提に最終報告が提出されました。平成29年6月2日、衆議院本会議で可決、平成29年6月9日、参議院本会議で可決し、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」というのですが、私は敢えて今上陛下の「譲位」に関する皇室典範の特例法が成立しました、と言います。公布は平成29年6月16日でした。

特例法の趣旨について下記の通り説明されています。

(趣旨)

 第一条 この法律は、天皇陛下が、昭和64年1月7日の御即位以来28年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、83歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、さらに、皇嗣である皇太子殿下は、57歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられることという現下の状況に鑑み、皇室典範(昭和22年法律第三号)第四条の規定の特例として、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。

今上陛下の御譲位及び皇嗣の即位については下記の通りです。

 第二条 天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位する。

 (上皇)

 第三条 前条の規定により退位した天皇は、上皇とする。

 2 上皇の敬称は、陛下とする。

 3 上皇の身分に関する事項の登録、喪儀及び陵墓については、天皇の例による。

 4 上皇に関しては、前二項に規定する事項を除き、皇室典範(第二条、第二十八条第 
   二項及び第三項並びに第三十条第二項を除く。)に定める事項については、皇族の例
   による。

(上皇后)

 第四条 上皇の后(きさき)は、上皇后とする。

 2 上皇后に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太后の例による。

 (皇位継承後の皇嗣)

 第五条 第二条の規定による皇位の継承に伴い皇嗣となった皇族に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太子の例による。


特例法は、譲位に関する日程に関し、公布から3年以内に皇室会議を経て政令で定めると規定する、と定められています。これを受け、政府は今夏にも皇室会議を開き、国事行為である「剣璽(けんじ)等承継の儀」(三種の神器等引き継ぎ)や「即位後朝見の儀」(三権の長らの初拝謁)などの日程を閣議決定する、ということです。

公布から3年以内に譲位が行うと規定されていますので、問題は日程です。践祚(せんそ。皇太子殿下が天皇陛下から「剣璽等承継の儀」を受け継ぐことで天皇の位を受け継がれること)、「即位後朝見の儀」「即位礼正殿の儀」や「大嘗祭」の斎行される日程です。

平成32年(2020)7月には東京オリンピックの開催されます。新しい天皇陛下が大会の名誉総裁になられ開会宣言をされることになります。そのことを考えますと、来年の平成30年の年末には践祚(剣璽等承継の儀)が斎行され、平成31年(2019)年元日には新元号で迎える予定ではないでしょうか。

平成31年11月に、皇位継承を内外に示す国事行為「即位礼正殿の儀」執行され、同年11月22日・23日に「大嘗祭」を斎行されるのではないかと思います。

皇室では宮内庁の組織とは別の内廷の組織で,皇室の祭祀のことをつかさどっています「掌典職」があります。今上陛下の大嘗祭の前後、掌典職の人手が足りなかった事がありました。神社界に応援を要請し、これを受けて神社本庁では伊勢の神宮、熱田神宮、石清水八幡宮など全国の勅祭社から7人の神職を「臨時掌典補」として宮中に出向させた事があります。
7人の神職は2年近く、「臨時掌典補」として宮中で奉仕されました。その前例から来年の10月前後に宮中から神社界に「臨時掌典補」の要請があると思います。

また特例法に合わせて「国民の祝日法」も改正されます。譲位後は2月23日が「天皇誕生日」(祝日)となり、12月23日は祝日でなくなります。


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2017-07-13

夏祭
昔から大阪の夏祭は『愛染まつりに始まり、住吉大社で締めくくる』と言われています。
愛染まつりは、平成29年6月30日(金)・7月1日(土)・7月2日(日)の3日間、大阪市天王寺区にある勝鬘院愛染堂で開催されます。大阪の夏の始まりを告げるお祭りです。

住吉大社の夏祭は大阪府下の最後の夏祭で住吉祭と言われています。大阪中をお祓いする「お清め」の意義があり、古くより「おはらい」ともいわれました。7月17日の海の日に「神輿洗神事」、7月30日に「宵宮祭」、31日に「夏越祓神事・例大祭」、そして8月1日には住吉大神の御神霊(おみたま)をお遷した神輿が行列を仕立て、堺の宿院頓宮までお渡りする「神輿渡御」が行われます。

「愛染まつり」から「住吉祭」の間の1ヶ月間に大阪市内の各神社は夏祭が開催されます。「天神祭り」は全国的に有名ですね。当社も7月14日・15日に夏祭が開催されます。15日の午前11時には「夏祭」の神事が斎行されます。神事の様子は見学できます。当社の夏祭は「だんじり」を地元の子供達が綱で曳いて氏子地域を巡行します。

「だんじり」の鐘と太鼓の音でお祓いしながら台風や水害、害虫、疫病などの邪気を追っ払います。「だんじり」の圧巻は15日の午後7時ごろから執行される隣町の「だんじり」との出会いとパレードです。お越しになるときは自転車や自動車は禁止です。徒歩で来てください。

だんじり.jpg

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神宮司庁の発表

神宮司庁の発表
神宮司庁は6月20日、伊勢神宮で神嘗祭や新嘗祭などの神事を行う神宮祭主に天皇陛下の第一皇女子長女黒田清子さま(48)がご就任されたと発表しました。昭和63年10月から約29年間祭主を務めた昭和天皇の四女池田厚子さま(86)は、本人から申し入れがあり、6月19日付でご退任になられました。
 
黒田清子さまは平成24年~平成25年、同神宮の臨時祭主に就任されました。神宮の社殿を20年に1度建て替える平成25年の第62回式年遷宮では池田厚子さまのご体調を考慮して神事の一部を代行されました。黒田清子さまは明治以降、11代目の祭主となれます。

神宮祭主とは天皇さまの御代理として神宮の祭事をつかさどる役職で、天皇陛下の「勅旨」を受けて決まる「神宮だけ」の役職です。

「伊勢神宮」は通称で、『神宮』が正式な名称です。神宮は、皇室の「御祖神」である天照大御神さまをお祀りする内宮と豊受大御神さまをお祀りする外宮の総称で、14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社を含め、計125の宮社があります。全国の神社の「本宗」(ほんそう)と位置付けられています。

神宮では千数百年にわたって、毎日朝夕のお祭や年間1500もの祭儀を行っています。特に6月の月次祭、10月の神嘗祭、12月の月次祭は「三節祭」と呼ばれる最も由緒深い祭典があります。神宮祭主は天皇陛下の代理として、天皇さまの御心をご祭神に伝えされることになられます。


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日本には忘れてはならない日が三つある

日本には忘れてはならない日が三つある
平成29年6月23日、安倍総理は、沖縄県で行われた平成29年沖縄全戦没者追悼式に出席しました。

 安倍総理は、まず、国立沖縄戦没者墓苑で献花を行った後、平和祈念公園で行われた追悼式の中で、正午の時報に合わせて全戦没者に1分間の黙とうをささげました。その後、献花を行い、挨拶を述べました。最後に、島守の塔に献花しました。そして沖縄全戦没者追悼式が行われました。

安倍総理が挨拶しますと、例年の如く「安倍は帰れ」「ふざけんな」と飛び交う怒声がテレビで聞こえています。今年も慰霊とはかけ離れた光景が繰り広げられました。

沖縄戦は昭和20年3月26日から始まり、主な戦闘は沖縄本島で行われ、組織的な戦闘は6月20日に開始、昭和20年6月23日に終了しました。民間人・軍人を合わせて20万人の人たちが亡くなられました。国民は沖縄県民が想像絶する苦しみを受けられた事実を忘れてはいけません。確かに広島、長崎には原爆も投下されています。空襲で亡くなられた人々も大勢います。

壮絶な地上戦が行われた唯一の県、沖縄です。また27年間にわたりアメリカの占領下で沖縄県民の皆さんには大変苦労を掛けました。我が国が憲法を改正して自主憲法・自主独立・自主防衛の強い日本国に構築し、少しでも沖縄の皆さんの負担を軽減するように努力すべきだと思っています。

我が国の戦後の発展は、事実日米の安保条約があり我が国の防衛をアメリカに依存によるものです。そしてそのために沖縄県民の方々に大きな負担を掛けてきたのも事実だと思います。

憲法改正し戦後を終了させるには、先ず国民全員が、しっかり歴史を学び沖縄県民に感謝する精神を忘れてはいけません。沖縄県内と県民の諸問題を解決しなければ戦後は終わらないと思っています。なぜならば戦後体制の矛盾の縮図が沖縄県にあります。子供のときから私を指導して頂いた坪井一夫先生は晩年、沖縄県に大学を創設しょうと懸命に働かれていました。先生の言葉に「日本人が忘れてはならない日が三つある。6月23日の沖縄の戦いの終結の日・8月6日の長崎の原爆投下の日・8月9日の広島の原爆投下の日」と言われていました。

しかし、毎年の沖縄全戦没者追悼式においても、挨拶に立った県知事は沖縄のアメリカ軍基地の負担軽減を訴え、そのときの総理大臣に「帰れ」という罵声の声を浴びせる左翼の活動家、それを制止しようとする警官らに怒号、すべて沖縄県民が行っているように報道されるのには怒りを覚えます。

純粋な戦没者の慰霊祭が無駄になってしまいます。平和で安心してくらせる国家をつくることの決意が真の慰霊祭と思います。天皇さまや総理大臣が靖国神社へ参拝できる国にならないと我が国は滅びます。


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「夏越の大祓」

「夏越の大祓」
当社では、毎年6月30日午後4時、「夏越の大祓」を執行します。氏子・崇敬者の皆様方が、日常生活に於いて知らず知らずのうちに起こしたり犯したりしてしまった様々な過ち・罪・穢れ等を人形(ひとがた)という人間の形をした形代(かたしろ)に移して祓い清める「大祓」(おおはらえ)という神事を斎行しています。今年の「夏越の大祓」も、例年通り6月30日、午後4時から拝殿前(但し雨天時は拝殿内)で斎行致します。当日御都合の良い方は是非御参列下さい。

「大祓」は、古来より国の祓えとして、6月と12月の晦日(みそか)に行われ、人々が知らないうちにおかした罪や穢れ(けがれ)を祓い清める神事です。当日まず、宮司にあわせて大祓詞を奏上しその後、神職が祓いをして、人の形をした形代(かたしろ)で全身をなで、息を三度吹きかけて心身の罪や穢れを移して祓い清め、疫病厄災除けを祈念して、茅の輪(ちのわ)を三度くぐる茅の輪神事を斎行いたします。

「蘇民将来」(そみんしょうらい)」という言葉を唱えつつ、境内に設えられた茅の輪を三回くぐることにより、さらに祓い清めていただくことができます。

ところで「夏越の大祓」の際に奏上される「大祓詞」(おおはらえのことば)は、別名を「中臣祓詞」(なかとみのはらえことば)とも呼ばれています。

この祝詞は「日本書紀」や「古語拾遺」にも見られ、少なくとも奈良時代以前から存在しているもっとも古い部類に属す祝詞です。各神社では毎朝奏上される祝詞のです。神職になった人はまずこの祝詞をしっかりマスターしなければなりません。

当社では昔から毎朝奏上されるのが「中臣祓詞」で6月30日・12月30日の2回程度奏上するのが「大祓詞」です。その大きな違いは祝詞に咎(とが)と云ふ咎(とが)が入る点です。

「大祓詞」 
罪(つみ)と云ふ罪(ざい)は在(あら)らじと 科戸(しなど)の風(かぜ)の天(あめ)の八重雲(やえぐも)を吹(ふ)き放(はな)つ事(こと)の如(ごと)く  

「中臣の祓」
罪(つみ)と云ふ罪(つみ)咎(とが)と云ふ咎(とが)は在(あら)らじと 科戸(しなど)の風(かぜ)の天(あめ)の八重雲(やえぐも)を吹(ふ)き放(はな)つ事(こと)の如(ごと)く

仏教では「般若心経」が定番の経文ですが、神道の定番といえば「大祓詞」です。「大祓詞」
は900字あります。この900字の中に個人と個人が住んでいる生活共同体が「平和で安心して暮らせる」ことを重視し追求しています。

「大祓」とは穢れを祓って清浄になることです。神道でいう清浄とは、神さまから授けられた「本来の自分」に還ることであり、神さまの御心に還ることです。

神さまの御心に適うとは人々が「清く」「正しく」「仲良く」「互いに生かし合い」「互い助け合い」「互いに許し合い」という精神を持って未来に生きることだと思うのです。このように御心を実行すれば天照大御神さまはもとより八百万の神さまは喜んで私たちに救いの手をさしのべて戴けると信じています。





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「死に場所難民」と「葬儀難民」について

「死に場所難民」と「葬儀難民」について
平成10年ごろから盛んに「少子高齢化」の社会が到来すると叫ばれてきました。それが現実となり今や「少子超高齢社会」が到来したのです。平成27年国勢調査による人口を基準とした平成29年1月20日の総務省が発表した人口推計(概算値)によりますと、平成29年年1月1日時点での我が国の全人口は1億2,686万人となりました。

我が国の人口数は、平成22年(2010)の1億2,806万人以降、年々下降しています。その一方で上昇を続けるのが高齢化率です。『平成28年版高齢社会白書』によると、平成37年(2025)には総人口が1億2,066万人となり高齢化率が30.3%、2040年には総人口が1億728万人で高齢化率が36.1%、2060年には総人8,674万人で高齢化率は39.9%になります。

思うのですが、「少子超高齢社会」と言いますが、老人たちの「多死社会」でもあるのです。平成26年(2014)の年間死亡者数は約126万人を超えており、団塊の世代が死亡する平成37年(2025)は約154万人、平成47年(2035)は約166万人となると予測されています。

今回は最期は何処で迎えるか、と言うことについて記述します。昭和50年(1975)以降、病院などの医療機関が自宅を上回るようになりました。現在では医療機関での死亡が全体の8割近くとなっています。

しかし、今後私を含めて団塊の世代の死亡者数が増加します。ベット数の増加が見込めないことから、医療機関での看取りはパンク状態になります。介護施設で最期のときを迎える人が増加することになると思います。

そのことから介護職、看護職不足が予想されています。今でも深刻な問題になっています。そのため政府は、入院患者を退院させ、自宅で最期を迎えられる在宅医療を目指す意思を明確に表明しています。老人が在宅で最期を迎えたいという要望をもっているのでそれを叶えるためではありません。超高齢化社会を迎えるにあたって、医療費の高騰を抑えるためです。

すでに病院の長期入院患者に対する診療報酬を国が低下させています。病院側としても長期入院患者では経営が苦しくなります。長期入院患者を入院させていても、これ以上治療しても良くならないという理由で追い出すという事態が起きています。

国の在宅医療ができる環境が整っていなければ今後、大きな問題となります。自宅で患者の看護、介護ができず、また高齢者施設は順番待ちという現状で病院を転々とする患者が増加しています。高齢者施設に受け入れる余裕がないという受け入れ側の収容能力に問題もあるからです。

今後、「治すこと」を目指してきた日本の医療制度を、「自宅で看取る」「介護施設で看取る」という方向に変えてゆかなければなりません。そのために全国各地の訪問看護ステーション、診療所・医院には、在宅療養支援の拡大を目指す必要があります。そして医師のさらなる増員なしには、「高齢多死社会」には対応はできません。

国や自治体が新たな施設と法整備がなければ、急増する高齢者が最期を過ごす場所が不足し、死に場所の見つからない、「死に場所難民」が予測されます。そのことから政府も2025年までに医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的に提供される地域包括ケアシステムの構築を実現しようとしています。

私は宮司でありながら境内地で鍼灸師・柔道整復師として開業しています。また学校法人森ノ宮医療学園の理事をしております。学校法人の森ノ宮医療大学には看護学科が併設されており、終末期に関わる看護師からいろいろな問題を聞くことがあります。ガン患者に限らず終末期の緩和ケア病棟を神社の境内地にできないか、と聞かれたことがありました。

神職の多くは神葬祭など葬祭に関わりを持つことは少ないので「高齢多死社会」の現状を把握できていないと思います。また「ターミナルケア」という言葉も神職の間で聞くことはあません。「ターミナルケア」とは余命がわずかになった人の終末期医療や終末期看護を指し ます。つまり、「看取り」に向けての医療や看護のことです。「ターミナルケア」では基本的に 延命措置を行わず、痛みや不快な症状の緩和ケアが中心となります。

「ターミナルケア」を行う医療施設は、介護療養型医療施設(療養病床)、病院の緩和ケア病床、緩和ケア病棟(ホスピス)などがあります。介護施設には、介護老人保健施設や特別養護老人ホーム、一部の有料老人ホームなどがあります。

普通は宗教を必要としてない人々も、「死に場所難民」の時代に入りますと死に直面した時は必ず駆け込む場所を探すはずです。それらに対して神社も拠り所にならないのか。キリスト教系の病院・ホスピスは数多くあります。しかし神道系の病院・ホスピスは聞いた事がありません。仏教系では全国で17の病院があり関西では下記の通りあります。

•栄仁会 京都駅前メンタルクリニック - 京都市下京区。宇治おうばく病院の分院。
•田中医院 - 京都市中京区。西山禅林寺派。
•三聖病院 - 京都市東山区。森田療法専門の病院。東福寺境内にある。
•宇治おうばく病院 - 宇治市。萬福寺境内にある。
•あそかビハーラクリニック - 城陽市。浄土真宗本願寺派系。
•東大寺福祉療育病院 - 奈良市。華厳宗(東大寺)系。
•四天王寺病院 - 大阪市天王寺区。和宗(四天王寺)系。

神道系の病院
神奈川県の寒川神社の寒川病院
奈良県の天理よろづ相談所病院

全国に神社は8万社以上あります。神職は約2万2千人おられます。単純に計算しても1人の神職で8社の神社を維持されているということです。私も1社の神社を兼務しています。同期で地方の宮司をしている友人は15社も兼務しています。それも大阪と違い鎮守の森に囲まれ広大な境内を有しています。

心の安らぎとそして瑞々しい生命力を授かる鎮守の森の中で医療機関、つまり介護施設や「看取り」専門の病院、ホスピスに賃貸できないかと。もちろん賃貸料で神社の維持運営もできます。また神職が臨床宗教師としてターミナルケアに関われるのではないかと神社界で提言しています。生まれてきたから、避けて通ることのできない「死」。神職も「看取り」の問題に関わってもいいと思います。

次に「死に場所難民」のほかにもう一つ大きな問題があります。「葬儀難民」の問題です。
大阪市北区に通称「遺体ホテル」と呼ばれる「安置ホテル」があります。イオン系列の会社が運営しています。家族と故人が「最期の時間」をゆっくりと過ごす遺体安置・宿泊施設です。少人数でのお葬式を行うことが可能です。自宅で通夜や葬式を出さないで火葬までの間、家族が遺体と「最期の時間」を過ごせるホテルというコンセプトのもとに約5年前からオープンしています。

その背景には「葬儀難民」という問題を抱えているからです。東京都では葬儀場や火葬場を抑えることができるまで、最長1週間から10日かかります。その理由は深刻な火葬場の不足です。当社の氏子地域の火葬場も満杯で3日間待たされることもあります。「友引」の日は告別式や火葬を避けていましたが、そんなことを言っておられない状況です。

将来、24時間フル回転の火葬場も増えると思います。このままでは火葬までの期間、遺体だけを預かる安置所も増えてくると思います。各自治体が火葬場を増設しないと「葬儀難民」の問題は解決しません。


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「エンディングノート」について

「エンディングノート」について
最近、高校・大学の同級生、幼なじみが亡くなることが多くなりました。年齢的に結婚式に招待されるより葬式の方が多くなりました。それだけ私も年をとったという事です。当然、孫もできていますのでおじいちゃんと言うことです。

昨年、亡くなった友人は12回も手術をしました。おそらく本人はこの世を去ることを覚悟していました。彼から死ぬ前に何度も携帯電話で話すことができ、彼から最期の別れの言葉も聞きました。

今でも悔やまれるのは静岡県に住んでいた大学時代の親友のことです。彼は突然消えるような最期でした。当時、彼は静岡県で高校の校長をしておりました。定年前の12月に癌が発見され、すでに手遅れの状態でした。12月の初めに入院先の静岡の病院へ見舞いに行ったのですが、翌年の1月7日にこの世を去りました。ご存知の通り正月は神社が一番多忙なときで葬式に出られなかったことが今でも悔やまれています。来月に彼が眠る浜松市のお墓に参りたいと思っています。

私事ですが、平成15年4月には先代宮司が8月には母親が亡くなりました。共に高齢でしたので、二人とも死を覚悟していました。両親とも孫に囲まれてこの世を去りました。先代は「エンディングノート」を書いていましたので、「延命措置はいらない」「知り合いの病院で世話になった医師のもとで死ぬ」。また神葬式の斎主まで決めていました。「交通渋滞になるので神社では神葬式はしない。会館で執り行ってほしい」など事細かく書いてありました。

また先代から「お母さんは家族葬で行え」と指示されていましたので、そのように行いました。

先代の場合、医師から余命は3ヶ月と宣告されていましたので、神葬式の準備は完全にできました。母親も夏まで持てばよいかもしれないと宣告されていましたので、両親共に神葬式の準備をしなければなりませんでした。平成15年は人生で一番疲れました。

しかし両親がこの世を去ってからがたいへんでした。先代の「エンディングノート」には書かれていないことがあったのです。書籍は別にして、先代はおしゃれで1年に一回はスーツを誂えていました。靴も特注でした。

先代の身長は165センチありました。私は182センチ、息子は185センチあります。スーツもワイシャツも着ることはできません。いとこ達や親戚も合いません。洋服の始末に困りました。母親は母親で単行本の小説が大好きで何百冊の本と趣味の人形やこけし類が山と有りました。さらに両親たちの手紙も多くありました。

長生きすれば本人たちの思い出が込められた様々な「荷物」が増えて行く物だと思いました。長寿になればなるほどその荷物は増えるばかりです。一番家族にとって困る物は写真やアルバム・手紙です。両親が子供のときの写真や友人たちと取った写真、両親の結婚式の写真など、両親や祖父母の思いがこもっていると、不用意に捨てられないのです。

両親は別にして祖父母の若いときの写真や記念写真などを収めたアルバムを残しても、孫の時代は誰も見ないし誰が写されているのか分からないと思います。今だに大正時代のガラス板のフィルムもあります。祖父母が大好きな瀬戸物のレコード盤があります。落とせば割れますし、回転数が速いので聞く蓄音機もありません。骨董品だけが増えてばかりです。

両親のものだけで、だいたい3tトラック1台分の物品を処分することになりました。

自分がどういう逝き方をしたいのかを家族に伝える「エンディングノート」も必要ですが、
生きている間に不要なものは棄ててほしいものだと思いました。家族が故人の遺品整理に頭を抱えることなことにならないようにすべきです。生きているうちに自分の手でひと思いにすべて捨ててしまうのも方法だと思います。

「エンディングノート」にアルバムや手紙は『遠慮なく捨ててください』と記載してほしいと思います。一筆でもあれば、家族も処分しやすくなります。

亡くなった友人の父親がAVの趣味を持っていて、友人の家族たちが、遺品の整理中に見つけるというケースがありました。『なんだ、おじいちゃんHだったのか』と陰口を叩かれたそうです。友人の母親は『こんな恥ずかしいことはなかった』と言っていました。

子孫のために威厳を保つためにも、元気なうちにキレイさっぱり整理しょう。


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「憲法70歳。何がめでたい」

「憲法70歳。何がめでたい」
平成29年5月3日の産経新聞朝刊の第一面の見出しに「憲法70歳。何がめでたい」という記事がありました。

ご存知のことと思いますが、日本国憲法は占領下の昭和22年(1947)5月3日に施行されました。世界中で改正されたことがない憲法が日本国憲法で、施行から70年も経ち世界一の「長寿」となっています。それで産経新聞が皮肉で「何がめでたい」と記事にしたのです。

そもそも日本国憲法を草案したのは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)です。それも8日間で草案しました。その証拠に日本国憲法が英語で書かれた草案が存在しています。日本国憲法は英語で書かれたものを訳したものです。ハーグ陸戦条約には占領軍は占領国の憲法を制定してはいけないとしてあります。しかしそれを無視して草案した為に占領軍は英語で作ったのです。

知られているとおり、日本国憲法の改正には国民投票をすることが定められています。日本国憲法が草案されたときには国民の議論もなし、国民投票を行っておりません。国民の議論もなし許可もなし、国民投票もなし、それで「日本国憲法は国民の信を得ている」、という野党の発言は滑稽です。

また不思議なことに明治憲法と呼ばれている大日本帝国憲法は破棄されていません。占領の言論統制の中で国会の議論や国民投票で破棄することができていないからです。大日本帝国憲法はまだ存在しているのです。どこに存在するかというと、実は日本国憲法の中に存在しているのです。

大日本帝国憲法第73条の改正手続きを利用してほぼ全文を入れ替えて、作られたのが日本国憲法です。簡単に言えば大日本帝国憲法の延長線上に日本国憲法が存在するのです。そうすると日本国憲法は存在しない、と言うことになります。無効なのです。

ところで第23条に「学問の自由は、これを保障する」とあります。学問の自由を保障するならば例えば東京大学などの国立大学への入学制限の入学試験は憲法違反と言うことになります。

そして日本国憲法では憲法を守らなければいけない義務がある対象を具体的に指定します。第99条です。条文を見てみます。

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

この条文の中には国民は入っていません。憲法を守る義務があるのは公務員だけです。国立大学の入学試験を実施していている文部科学省と公務員たちは憲法違反になります。

第9条の問題ではなくいろいろな矛盾と問題を持っている日本国憲法を改正されたことが一度もなく、70年間存在すること自体が『世界最古の憲法』と揶揄されているのです。

以下は、先進国におけるこれまでの憲法改正の回数です。

ドイツ:59回
フランス:27回
カナダ:19回
イタリア:16回
アメリカ:6回
日本:0回

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神箸

神箸
4月中、体調が良くないのでご先祖の墓参りを控えていたのですが、昨日ご先祖と父母の奥津城(おくつき・墓のこと)の掃除とお参りに行って来ました。花谷家の奥津城は明治の神仏分離以後、奈良県五條市の山深いところにあります。

自動車で2時間ほどかかります。花谷家では4月30日までに奥津城へお参りし、来年の三月まで毎月一日の月次祭(つきなみさい)や夏祭・秋祭に使用しますお箸の材料、杉の霊木を持ち帰えります。神箸は儀式で神さまに食物を捧げる道具として使われるのです。

帰宅後、霊木を加工して本日の5月1日午前7時に執行される月次祭に使用させていただきました。神箸には神さまと宮司の「間に挟む」意味があります。この神箸は「記紀」にも記述されており、神さまがこれを使って新穀を召し上がるものでした。

当社では5月5日の午後2時からは九鬼稲荷社の祭礼が執行されます。九鬼稲荷社のご祭神は摂津三田藩三代目藩主九鬼隆律(くきたかのり)です。端午の節句には柏餅やちまきを神饌としてお供えしています。先代の頃までには「ぶりの照り焼き」が九鬼隆律さまに神饌として備えしていました。「出世魚」と呼ばれるためです。その時にも九鬼隆律さまが食されるように神箸も横に置いていました。

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1ヶ月間の静養

1ヶ月間の静養
4月に何度か寒の戻りがあり、今年は各地で花の便りが少し遅れました。春の到来を待ち侘びるなかで、理事をしている学校法人森ノ宮医療学園の専門学校・大学で卒業式や入学式があり、さらに当社の年度末の慌ただしい時間を経て、同時に大阪府神社庁が経営母体の浪速中学・高校の役員会があり、そのために4月に入り体調を崩しまして1ヶ月ほど休養を余儀なくされました。

私の持病に「めまい」があります。疲労やストレス、生活習慣の乱れがありますと{めまい}を引き起こします。1年に数回あります。普段は安定した足取りで神さまのご奉仕や鍼灸治療、専門学校の講義、大阪府神社庁の役員会、浪速高校の役員会、学校法人森ノ宮医療学園の理事会など仕事をこなして日常生活を送ることができます。

4月3日の午前2時ごろ、お手洗いのためにベットから立ち上がると、天井がぐるぐる回るような感覚の{めまい}が起きました。その時に吐き気や嘔吐などの症状を伴います。今回は嘔吐が激しく起こりました。何回も同じ症状を経験していますので、自分で頚部のツボに中国の鍼で治療を行いました。

今回の{めまい}も脳幹や小脳などの中枢神経の病気ではなく右側の内耳の病気が原因になっていました。脳幹や小脳などの中枢神経の病気の症状の場合、手足がしびれたり麻痺が生じたり、ろれつが回らない、ものが二重に見えるなどの症状があります。

耳の内耳にある前庭という部分に耳石があり体のバランスをとる働きをしています。私の場合、耳石の異常でめまいと嘔吐が生じます。ベットで寝ながら鏡で自分の目を見ますとぐるぐると目が回っていないので、メニエール氏病ではなく耳石が原因の良性発作性頭位のめまいです。

そこで鍼治療を頚部にした後、わざと{めまい}を起こす方向に頭を動かしてみました。20秒以内に{めまい}が収まりました。立ち上がると軽いめまいはしますが、歩行はできました。

良性発作性頭位は、{めまい}を起こす方に頭位を取り続ければ自然に消失すると言われています。私の場合、偶然に前庭部から三半規管に剥がれ落ちた耳石を前庭部に戻ったのでしょう。

過去に何度も頭部のMRIの検査を受けて頭部に異常のないことを知っていたので安心はしていました。ところが午前6時ごろ、起床して立ち上がると再び「めまい」と嘔吐があったために知り合いの耳鼻科の先生に受診し点滴を受けました。良性発作性頭位めまい症の場合は、2~3週間で自然と治るから、心配はないと言われました。「宮司さん、役職が多く周囲から見ても働きすぎです。自宅で3週間ほど安静にしてください」と言われました。

この4月前半から後半まですべての会議は欠席し、PCも見ないように本も読まないように生活していました。携帯電話のラインや通話だけはしていました。また神社の鍼灸院は休まず治療は続けていました。月に1度の敬神婦人会の勉強会の講師もしました。週に1回の専門学校の講義も休みませんでした。

しかしテレビは見ない、本は読まない、PCは使用しない、懇親会や会議は欠席し静養に努めました。退屈な1日だと思われますが、好きなジャズを聴いたり、神殿では白川流の呼吸法や大祓を奏上したりして、とても有意義な時間を過ごすことができました。

ところで「めまい」は古くは「めまひ」という言葉で「め」は目のこと、「まひ」は「風のようにまふ」の意味で「まふ」は「回」の「まわる」に通ずる言葉です。




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