神上の道・死んだらどこへ行く

神上がりへの道・死んだらどこへ行く

最近の子供に「死んだらどこへ行くの」と聞かれたら、ほとんどの大人は「天国に行くのよ」と答えるだろう。「天国」という言葉は、神道や仏教には存在せず、明治以後のキリスト教の影響によるものです。ただ団塊の世代までの子供たちは「普通の人は死んだら極楽に行く、うそばかりついている人は死んだら地獄に落ちて閻魔(えんま)さんに舌を抜かれる、さらに悪いことばかりしていた人は閻魔さんに裁かれて針山地獄に落ちる」と教えられていたので、あの世は「極楽」と「地獄」の二つがあると思っていました。
 
しかし私の場合は事情が少し違っていました。大阪市の東の片すみの小さな町、鶴見神社の宮司の長男として生まれていたので、幼い頃から父母より「死んだら黄泉(よみ)の国というところに行く」と教えられてきました。そのためか、あの世のことを「黄泉の国」と思っていた。友達に聞くと「おまえの家は神さんやから俺らとあの世が違うねん」という。そこで神道と仏教の家ではあの世は違うことがわかりました。

また近所の年寄りが銭湯に入って気持ちよくなっていると「ああ極楽、極楽」という言葉を発するので、心地よい所が「極楽」と思っていました。よく「悪いことすると地獄に落ちる」と言われていたので、「地獄」は悪人ばかりの世界と考えていました。

私は幼い頃は病弱で、よく腸炎や肺炎で死にかけました。3才ごろ、喘息で呼吸困難になり、往診に来た町医者に「この子はもうだめです」といわれた瞬間、呼吸困難の苦しさを忘れて、とても心地よい気持ちになり、ふっと意識が飛んだことがあります。その時、母親の「死んだらあかん」という泣き叫ぶ声の大きさに驚いて生き返ったことがあります。子供心に死ぬ瞬間というのは「ああ極楽、極楽」という言葉が出るように心地よいものだと思っていました。

中学1年生の時に母方の祖母が老衰で亡くなりました。今では病院で「死」を迎えますが、当時は自宅で家族に看取られながら亡くなるのが普通でありました。祖母の場合でも自宅で医師が「ご臨終です」という言葉で、私は「おばあちゃんが死んだ」ことを自覚しました。さすがにその時は「極楽」へ旅立ったとは思いませんでした。ただ死ぬ直前と死んだ直後、「生」から「死」へと大きな変化があるのに、祖母の肉体に何が変わったのか、と考えました。

高校生のときに「死ぬ瞬間は、どんな感じになるの」と父親に聞いたことがあります。即座に「死んでもないのにわからん」といわれたのを覚えています。たまたま高校が神道系の学校であったので神道の先生に聞くと「死んで肉体から霊魂が出て行く瞬間は心地よいものだ」といわれた。何の疑問もなく、そんなものなのかと思っていました。

大学2年生の時に、友人二人がバイクで走行中に事故に巻き込まれ、一人は重傷で、もう一人は内臓破裂で意識不明の重体になったことがありました。二人とも奇跡的に助かり、後日、意識不明になった友人に話を聞くと「集中治療室で医師が自分の体の手術する姿を天井の上の方から見ていた」ということでした。いわば霊魂の肉体離脱です。それから死んだら、肉体から離脱した霊魂は一体どこへ行くのかを考えるようになりました。
それと大学2年生の時に昭和45年11月25日に起きた「楯の会」事件があり、「霊魂」の所在を考える上でのもう一つの要因にもなりました。若い人には遠い昔の出来事のように思えるが、私にとって決して忘れることができない事件です。

簡単に「楯の会」事件を説明すると、ノーベル文学賞候補にもなった作家三島由紀夫氏が「楯の会」のメンバー4名を率いて東京都新宿区市ヶ谷の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れ、親交のあった益田兼利東部方面総監と対談し、突然[楯の会]のメンバーが益田総監を押させつけて椅子に縛りつけ、総監室の入り口をバリケードで封鎖し、三島由紀夫氏が集まった自衛官に決起を促す演説をバルコニーで行い、この後、総監室に戻り、短刀で切腹し自決、[楯の会]学生長の森田必勝氏も自決した事件であります。残る3人は取り押さえられ逮捕されました。

当時、国内の大学のほとんどが全学連によって学内紛争が起きており、首都圏では昭和43年10月21日に行われた「10.21国歳反戦デーの集会」以後、各地で過激派の火炎瓶闘争が広がり騒然としていました。その中で「楯の会」事件は国内をはじめ世界中に衝撃を与えた事件であました。

私は自決した森田必勝さんとは自分の兄貴みたいな存在でした。昭和45年9月ごろ、電話で話したのが最後でありました。それから2ヶ月後、自決されたニュースを聞いて衝撃を受け、今、自分は何をしたらよいのか、ぼう然としてしまい、とにかく内宮にお参りして神様にすがる以外に考えが浮かばなかったことを記憶しています。

それから自分の行動は「公安」からマークされていました。自分は何をしたらよいのか、どうすればよいのか、自問自答ばかりの毎日でした。大学の荒川久壽男先生に相談すると、水戸学の藤田東湖先生の言葉に「死して忠義の鬼(き)となり、極天皇基(きょくてんこうき)を護らん」というのがあり、彼ら二人は黄泉の国に行っておらず、あえて自分たちの「霊魂」を地上に残して国のために生命をかけて働く人物に惜しみなく力を注いでいるのだ、と教えられました。二人とも死を決意したときから、死んだら自分たちの「霊魂」はどこへ行くのか、すでに解決しているのだといわれました。現代風の言葉でいえば、日本を護る「守護霊」になった、ともいえます。

その後、大学を卒業しても「霊魂は死んだらどこへ行くのか」を考えていました。神社に勤務しながら夜間に柔道整復師・鍼灸師の「専門学校」に通学して、国家試験に合格して鍼灸師・柔道整復師となり、一時、神社の勤務は辞めて医大や病院に研修させてもらい、病死した人、また元気になられた人、自殺などで「臨死体験」された人、多くの患者と接しいろいろと聞くことができました。そして「死生観」の本を出版しょうと思い、原稿を書くようになりました。

普通の神主さんなら、神道系の高校や大学を卒業すれば、一応エリート神職として、昔でいう官幣大社の神職として生涯を終えるのでしょうが、あえて村社の宮司の道を選び、神道・西洋医学・東洋医学を通して「霊魂の所在」「生とは何か、死とは何か」を追求して、「古神道・死者の書」を出版しました。この前、東京は神田の古本屋で5千円もしていたのには驚きました。さらに絶版になっているかと思いますが、「幕末入門書・志士たちの死生観」も出版しました。これは古本屋で私のサイン入りでありながら800円で売られているのを見て、あまりの安さにショックを受けました。

現代、出版業界は不況であるため、神道を中心に「霊魂」の所在をわかりやすく記述して、神道の死生観・神葬式の意義など、原稿は50%程度かけているのですが、なかなか発刊にいたりません。もし発刊できたならば買ってください。











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