お祈りのかたち

お祈りのかたち

あなたのご家庭には神棚がありますか。この質問の答えに、神棚はないけれど氏神様の御札があります。神棚も御札もあります。神棚も御札もないけれど、毎月、月初めに氏神様にお参りに行きます。信仰が違うので、神棚も御札もありませんし、氏神様にもお参りにも行きません。
信仰の違いや無宗教の人に、何もしないのですが、と尋ねると、すると、「私はいつも、家族の健康や幸福を祈っています。祈りの気持ちは誰にも負けないし、神社や神棚がなくても祈ることはできます」とおっしゃいます。
それはそれで、ごもっともな答えだと思います。それだけでは足りないものがあるのです。

祈りを共有することが足りないように思えます。
家族の祈りが、妻の祈りでもあり、夫の祈りでもあり、子供の祈りでもあり、祖父母の祈りでもあり、このように家族共有の祈りである時に、家族の絆は一層強いものになるはずです。
家庭の中に共通の「祈りの心」が存在することを、家族全員が感じることのできる形があれば、日本国は安泰です。
家族みんながそれぞれの自分の祈りを共有しあつた時、その祈りはもつと大きな祈りになります。考えれば、個人の家庭の祈りはいかに強いと自慢しても所詮小さな祈りです。

この「私」の祈りを「我が家」の祈りとして、更に大きくしてゆくこともできるのです。住んでいるところの皆さんか平和で安心して暮らせますようにと付け加えることにより、産土さん・氏神さんの神職の朝夕のお祈りと共有することが出来ます。信仰が違う人でも無宗教の人でも「我が家」の祈りから「地域の人々の平和と安心」を祈ることにより、毎夕の神職の祝詞の中で「氏子地域の皆さんの家々が平和で安心してくらせますように」という言葉があり、神職と共有の祈りができることになります。地域つまり氏子地域のいろいろな宗教を持った人がおられますが、神職は朝夕の祝詞で、平等に全員の安泰を祈っております。

信仰が違う人でも無宗教の人でも神職の朝夕の祝詞で、村の祈り、町の祈り、郷土の祈りを共有することでより大きな祈りになります。この大きな祈りは、「公(おほやけ)の祈り」でもあります。その中で一番大きなお祈りをされておられるお方が天皇陛下であります。
平成22年3月21日、春分の日、天皇陛下は宮中三殿の皇霊殿、神殿で春季皇霊祭を御視祭あそばれました。手塚英臣掌典長が祝詞を奏上され、その後、天皇陛下が皇霊祭の内陣に着かれて御拝礼、御告文を奏せられました。このときの天皇陛下のお祈りは「国安かれ、民安かれ」と御祈念されておられます。

皆さんがご存知のように、伊勢の神宮の祭りは天皇陛下の祭りでもあり、その祈りは天皇陛下の祈りでもあります。天皇陛下の祈りとは、ひたすら「国安かれ、民安かれ」を祈念する「無私」の祈りであると承ります。
天皇陛下のお祈りは、私的な「小さな祈り」がなく、専ら公に徹した、真の「大きな祈り」であります。
このような祈りを数千年の間、代々継承されてこられた方であることに天皇さまのご本質があり、そうした御方であればこそ、象徴と仰ぐと今日の憲法が規定したのであって、憲法よりもこのご本質が優先することを私たちは認識しておくべきだと思います。

ですから、無宗教・無信仰の人も、地球上のいかなるところも太陽の光の行き届くように、その祈りの心は無限であり、世界人類に宇宙にまで開かれたものであるはずです。「我が家の祈り」から「地域の祈り」に広げてもらい、天皇陛下の大きな祈り、「国民と世界中の人たちが平和でありますように」に結びつけてほしいと願います。そうすれば知らず知らずのうちに、天皇陛下の大きなお祈りと共有できると思います。


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