神道のお墓

神道のお墓
本日、午前10時より百日祭と納骨式を執り行いました。霊園が遠方にあり、少々疲れました。霊園は新しく造成された場所にあり、そのため通常の霊園より狭く、一区画の墓地面積も狭かったです。それでも建墓された墓石が所狭く並んでいますが、神道墓は今回が最初でありました。

ところで神式と仏式のお墓の形の違いのことですが、両者とも一般的には似ており、大きな違いはありません。これはお墓を設けること自体、インドを発祥とする元来の仏教の教えにはなかったことであり、祖先のお祭りをおこなうという日本の風俗習慣に基づくものだからです。

日本では各家庭の御霊舎(みたまや)や仏壇で祖先のお祭りを行い、遺骨を埋納する墓地においても同様に祭り、供養が行われてきました。

お墓は古代における墳墓から、仏教の影響により火葬がおこなわれるようになった中世、また寺請制度により広く一般民衆に至るまで墓が築かれるようになった江戸時代以降という歴史的変遷や、捨て墓と詣り墓(おまいりばか)の二つの墓を築く両墓制を行っている場所など、地域の風習による違いなどもあり、神仏による形態の違いについて一概に特徴を挙げることはできません。しかしながら三重県松阪市にある本居宣長先生の墓をお参りされたら、さすがに本居宣長先生だ、と実感できる見事な両墓制の墓があります。

今日も遺族の方から、神道式と仏式の墓の違いを質問されましたが、強いて違いを述べるのであれば、神道式では墓石の頭部の部分が平坦でなく、先端部を尖らせて四方を鋭角に刻む剣先状の形としていることなどが多いのも特徴です。
 
また仏式でお線香立てが設けられている部分に、供物を供える八足台(はっそくだい)が設けられていることもあり、墓石の正面には「~家の奥津(都)城」(おくつき)のように家名と「奥津(都)城」の文字を彫ってあるのも特徴です。
 
さらに当然仏式の戒名は用いず、墓石に故人の名を刻むときは大人(うし)や刀自(とじ)、また命などの尊称を、生前の姓名の下に付した諡名(おくりな)を用いてあります。

この他、自然石に家名を刻んで用いたり、墳丘型という土饅頭の形態にしたり、墓前に鳥居を設けたりしたものなども神道式の墓の例としてあげることが出来ます。遺族から頼まれ私も五つほど神道墓のデザインを作成し、実際に建墓したことがあります。帰幽された師匠の墓も私のデザインで建墓しました。とても形式がユニークで見学者が絶えません。自分で言うのもおかしいのですが、全国墓デザインコンテストがあれば最優秀書に選ばれているかもしれませんね。


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掃部です

興味深いお話でした。
神道のお墓は周囲にはありませんので
実物は見たことがありません。
仏式の五輪塔日間の匹敵するようなものもあるのですか?
by 掃部です (2014-03-03 17:24) 

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