八幡神社について

八幡神社について
八幡神社には、八幡宮や八幡社と称される神社も多く、さらに地名等を冠した呼称の社も見られます。大阪市鶴見区でも2社あります。八幡神社は全国に八千七百八十六社(境内社を除く)あり、分布もほぼ全国的に見ることができます(神社本庁祭祀祭礼データ参照)。
 
八幡神社の起源は、大分県宇佐市に鎮座の宇佐神宮(宇佐八幡宮)を始めとします。御祭神は応神天皇(誉田別命)・神功皇后・比売神三神で、欽明天皇の御代(五四〇~五七一)、豊前国宇佐郡の御許山(おもとさん)に始めて現れ、大神比義(おほがみひぎ)によって祀られるようになりました。これが宇佐神宮の創祀とされています。
 
奈良時代、八幡神は聖武天皇の詔によって進められた東大寺の大仏建立を助けるため上洛し、東大寺の守護神として鎮座(現・手向山神社)、次第に仏教との習合を深めていったため、仏法守護の神として崇められ、「八幡大菩薩」の称号が奉られました。また、同時代末には和気清麻呂(わけのきよまろ)が宇佐八幡宮の託宣を受けて皇位を狙う僧道鏡の野望を阻止したことにより、皇位守護の神としての性格も強めました。

 平安時代には平安、京の守護神として勧請され、都の裏鬼門(南西)の方角の男山に祀られたのが、現在の石清水八幡宮です。鎮護国家の神として朝廷の篤い崇敬を受けました。この石清水八幡宮の社前で、元服の式を挙げたのが八幡太郎として名高い源義家です。義家は源氏の棟梁として八幡神を自らの氏神、また武門の守護神として仰ぎました。

その由縁もあり、源頼朝が鎌倉幕府を開くと、中心に鶴岡八幡宮を創建し、幕府の守護神として祀りました。このほか、祭神の縁故の地や宇佐神宮・石清水八幡宮・鶴岡八幡宮の神領への分祀、また源氏、殊に頼義や義家といった武将の勧請などにより各地に祀られるようになりました。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。