「耳を澄ますと、私には聞こえてきます」


「耳を澄ますと、私には聞こえてきます」
鶴見神社の境内地に祖霊社があります。大東亜戦争で戦死された護国の英霊を御祀りしております。365日、雨の日も嵐の日も毎日お供えをしております。祖霊社の神前に立ち耳を澄ますと、私には聞こえてきます。若くして死んでいった私たちの真実を正しく観て欲しい、という声を。

戦後65年も経ちました。現在の私たちが終戦時の日本人を考えるとき、GHQの占領政策を考えなければなりません。戦後、混乱と疲弊、物資不足にあえぐ日本は、アメリカからの大量の食糧やまたガリオア・エロア資金などの多大な経済援助を受け、復興を果たすことが出来ました。

しかし、同時にGHQによる言論の統制は、戦後の社会に巧妙なマインドコントロールを与えたに等しく、「大東亜戦争」は「太平洋戦争」と呼称を変えさせられ、アメリカ製の日本国憲法を押し付けられました。言論統制は教育にも及びました。その結果、祖国護持の精神は、軍部の独走と罪深き他国への侵略行為へと、国民の記憶と意識も書き換えられて行きました。

護国の英霊は侵略戦争のために戦死したのではありません。あるものは進んで、またあるものはやむを得ず故郷のため国のためにと出陣したことだろう、と思います。しかし彼らのうち誰もが父母を慕い感謝し、子供たちの幸せを祈り、そのために誇りを持って戦っていたことは、どの遺書からも哀切の情を持って訴えています。まさに「たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神」を残そうとしていたのではないだろうか、と思います。それはとりもなおさず、家族や生まれた町を守るための戦いであったのです。そのことを護国の英霊たちは問いかけています。

私は、この人々の死なくして、現在の私たちと、日本の繁栄はなかったということをもう一度、深く考えるべきではないだろうか、と思います。


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