「神代の伝承」パート5

「神代の伝承」パート5
「神代の伝承」において一貫する哲学があります。それは「修理固成」です。それは今に通ずる古代人に生き方であり、人生観であり、教えの根本です。それには「成れるところ有り、成らざるところ有り」の道理が働かなければ実現できないものです。本日の「神代の伝承」のテーマーは「成れるところ有り、成らざるところ有り」です。では「古事記」の「神代の伝承」の続きに入ります。

其の島に天降り坐(ま)して、天の御柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。是に其の妹伊邪那美命に問曰(と)ひたまひけらく、「汝(な)が身は如何にか成れる。」ととひたまへば、「吾(あ)が身は、成り成りて成り合はざる処一処(ところひとところ)あり。」と答白(こた)へたまひき。爾(ここ)に伊邪那岐命詔りたまひけらく、「我が身は、成り成りて成り余れる処一処あり。故(かれ)、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合はざる処に刺し塞(ふた)ぎて、国土を生み成さむと以為(おも)ふ。生むこと奈何(いかに)。」とのりたまへば、伊邪那美命、「然(しか)善けむ。」と答曰(こた)へたまひき。爾に伊邪那岐命詔りたまひけらく、「然らば吾(われ)と汝(いまし)と是(こ)の天の御柱を行き廻り逢ひて、美斗能麻具波比為(みとのまぐはひせ)む。」と詔りたまひき。如此期(かくちぎ)りて、乃ち「汝(いまし)は右(みぎり)より廻り逢へ、我(あれ)は左より回り逢はむ。」と詔りたまひ、約(ちぎ)り竟(お)へて廻る時、伊邪那美命、先に「阿那邇夜志愛袁登古袁(あなにやしえをとこを)。」と言ひ、後に伊邪那岐命、「阿那邇夜志愛袁登売袁(あなにやしえをとめを)。」と言ひ、各(おのおの)言ひ竟へし後、其の妹に告曰(つ)げたまひけらく、「女子(おみな)先に言へるは良からず。」とつげたまひき。然れども久美度邇(くみどに)興して生める子は、水蛭子(ひるこ)。此の子は葦船に入れて流し去(う)てき。次に淡島を生みき。是(こ)も亦、子の例には入れざりき。

意味は次のようになります。
淤能碁島に天下りして、天の御柱を建て、大きな家屋も建てた。そこでその妻伊邪那美命に「貴女の身体はどのようにできているのですか。」と聞くと、「私の身体はほぼ整っているのですが、足りない所が一箇所だけあります。」と答えた。伊邪那岐命は「私の身体は既に整っているのですが、それが高じて余った所が一箇所だけあります。だから、私の身体の余った所で貴女の身体の足りない所を挿し塞いで国を生もうと思います。それでどうでしょうか」

と言うと、伊邪那美命は「それがよいでしょう」と答えた。伊邪那岐命は「ならば二人でこの天の御柱で廻り逢ったところで結婚しよう」と言った。そう約束して、「あなたは右から廻り、私は左から廻り逢おう」と言い、約束して廻った時、伊邪那美命が先に「ああ。本当になんといい男だ」と言い、後から伊邪那岐命が「ああ、本当になんといい女だ」と言い、それぞれが言い終わった後、妻に「しかし女が先に言うのは不吉だ」と告げた。とは言うものの寝所で事を始めて、生んだ子供は水蛭子だった。この子供は葦船に入れて流して棄てた。次に淡島を生んだ。この子供もまた、子供として認めなかった。

解説して行きます。天の御柱とは本当の柱を立てたのではありません。本当の島ではなく、「自覚」と「行為」の上に出来た島・淤能碁島に降り立ち、「天の御柱を見立て」と「古事記」にあるように、「見立て」とは「誓いを立てた」という解釈になるのです。それでは「天の御柱」とは何か、ということになります。天つ神の命令である、「この漂う国を修め理り固めよ」つまり「修理固成」を象徴しているのです。

また「八尋殿を見立て」にも「見立て」とあることから「八尋殿」は宮殿ではありません。大和言葉では「やひろ」とは「仕事場」または「作業所」という意味ですので、「八尋殿を見立て」とは「修理固成」を実行する場所と定めて、というのが正しい解釈だと思います。「天の御柱」と「八尋殿」も実際の建造物ではありません。

「成れるところ有り、成らざるところ有り」とは男女の生殖器のみを古代人は取り上げたのではありません。誤解のないように・・・・男性と女性には性差はありますが、共に平等なのです。男性には女性より優れたところがあります。しかし女性にも男性よりすぐれたところがあります。

お互いがその欠点を補い協力して行くべき姿を古代人は「成れるところ有り、成らざるところ有り」と表現したのです。男女の役割分担をしっかりと見定めることを古代の人は言いたかったのです。別に夫婦生活するのに具体的な方法を省略しても構わないのに、このことを記載したのは男女に関わらず人々は差別することなく、お互いの特性や役割を理解した上で協力して社会や家庭を築くことを、敢えて伝えたかったのでしょう。

美斗能麻具波比為(みとのまぐはひせ)むとは、汝(いまし)と我(あれ)一つになることですが、ここは神職の立場を離れまして説明します。鍼灸師・柔道整復師としての立場お話しします。美斗能麻具波比為を染色体で説明します。通常の人の染色体は下記の通りです。

ヒトの染色体・46本=常染色体+性染色体
            44本   2本 

この染色体を男性と女性に分類しますと、下記の通りになります。

 男性=22種×2本+XY
 女性=22種×2本+XX

全ての生命体の構造と機能の基本単位は細胞です。現生生物の細胞は,構造的に原核細胞と真核細胞の2つに大別されます。それ以外に,生命体と物質の中間的なウィルスがあります。

染色体は細胞の核内にあり、細胞分裂の際に棒状の構造体として観察される遺伝情報の担い手で、塩基性色素に濃く染まるところから染色体の名があります。真核生物の体細胞は、同じ形をした2つ1対の常染色体を何組かと1組の性染色体を持っています。

しかしその形と数は生物の種類によって決まっていて、種の判別に用いられます。上記のようにヒトでは、常染色体22組44本とXXまたはXYという性染色体2本の計46本を持っています。
 
「子は親に似る」といいます。これは,親から子へ遺伝情報が伝えられるためです。遺伝情報の実体は核酸(DNA)ですが、染色体はDNAとタンパク質の複合体です。染色体は遺伝情報を担う生体物質です。

つまり「美斗能麻具波比為」とは、天つ神の「修理固成」というご命令を伊邪那岐命(XY)と伊邪那美命(XX)で永遠に子孫に遺伝子として継続させるための行為を言うのです。


ところで「麻具波比為」とは、大和言葉では「目を合わす」ことを指します。
みとのまぐあ ひ
寝所で目を合わす

乃ち「汝(いまし)は右(みぎり)より廻り逢へ、我(あれ)は左より回り逢はむ。」と詔りたまひ、約(ちぎ)り竟(お)へて廻る時、

ところで婚姻のときになぜ廻るのか、今のところはっきりと解りません。私なりの解釈ですが、北半球で生じる渦は全て左巻きです。当然に南半球では全て右回りです。北半球では季節によって太陽の影の長さや角度は変化しますが、影の進行方向は右回りになります。

「水」と「火」の動きから左回りと右回りができたのかなあ、と思っています。遺伝子を残すたびに廻るわけではないので、物を作るときは、その周りを廻る儀式があったのかもしれません。

先ず伊邪那美命が「阿那邇夜志愛袁登古袁(あなにやしえをとこを)。」と言ひ、後に伊邪那岐命、「阿那邇夜志愛袁登売袁(あなにやしえをとめを)。」と言ひ、各(おのおの)言ひ竟へし後、其の妹に告曰(つ)げたまひけらく、「女子(おみな)先に言へるは良からず。」とつげたまひき。然れども久美度邇(くみどに)興して生める子は、水蛭子(ひるこ)。此の子は葦船に入れて流し去(う)てき。次に淡島を生みき。是(こ)も亦、子の例には入れざりき。

伊邪那美命が先に「まあ、本当にすてきな男性ですね。」その次に伊邪那岐命が、「やあ、本当に美しい女性ですね。」と。それぞれが言い終わった後に、伊邪那岐命は、「どうも女が先に言うのはしっくりとこない。」と言われた。そして水蛭子をお生みになりました。葦の船に乗せて流してしまわれた。次に淡島をお生みになりましたが、これも子どもとはみなされませんでした。

これは何を意味するのか、というと伊邪那美命が先に声をかけた行為が国生みに失敗したのであります。私なら喜びますが・・・・
古代では女性から声をかけて男性を求めることはタブーだったのです。現代医学でも男性の性行為は「能動的」で「左脳」が関わっています。女性の性行為は「受動的」であり「右脳」が関わっています。強い遺伝子を残すには男性の強い性本能が一番なのです。


水蛭子は骨無しの子供の意味といわれています。また海に捨てられたことから、中世には海神となり恵比須と同一視されるようにもなります。流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っています。

名前が水蛭子となっています。後に続く淡島や淡路島,伊予二名島と国生みの島が誕生しますので、水蛭子だけが骨無しの子供の意味や人を表現しているとは思えません。「水蛭子」の「ひる」は「干る」の意味で、島ではない「干拓」・「干沼」・「低湿地」のことを意味していると思います。
 淡島はどこの島かは明らかではありません。おそらく島ではありません。鳴門の渦潮みたいに海水が渦を巻いて泡みたいな状態を指していると思っています。




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