白川神道の「男子厨房に入らず」について

白川神道の「男子厨房に入らず」について
子供のころに台所で食事の用意をしていた祖母から「男子厨房に入らず」の言葉があるように男の子は台所に入ったらあかんことなっているのや、と言われたことがあります。なんぜや、とその理由を聞きますと、

日本には昔から厨房という台所にはかまどがあって、かまどにはかまどの神さまがおられて家を守っていたそうな、その神さまを祭るのは女の仕事や。その神さまは白川神道では大宜都比売神(おおげつひめのかみ)さまというのや。食物の神さまや。

ところが大気都比売神さまは、高天原から追われ、訪れてきた須佐之男命(スサノオノミコト)に食物を乞われると、鼻と口と尻からさまざまな美味なものを出し,料理して奉ったそうや。須佐之男命は,その様子をのぞき見ていて、汚物を供すると思ってなあ。怒って大気都比売神さまを殺したそうなあ。

それから男性は厨房に入ったらあかんことになったのや。大気都比売神さまの死体の頭から蚕が、目から稲が,耳から粟が、鼻から小豆が、陰部から麦が、尻から大豆が発生したそうなあ。

大気都比売神さまは誰が祭っても良いわけではなく、ちゃんと祭るべき人が決められているのや。女性でないと大気都比売神さまの機嫌を損ね、とんでもない災いを引き起こすのや。

ところで「男子厨房に入らず」の言葉は、「孟子」の中にあり、「君子、庖厨を遠ざくる也」から来ています。この言葉を簡単に説明しますと、食肉として引かれている牛が殺されるのに抵抗している様子を君主が見て、それを憐れみ、「そんなに牛が嫌がっているのなら殺すのをやめなさい」と発言したことに対して、「国民が食べていくために動物を屠殺することは仕方のないことです」と言って、臣下が諌めた話からの由来です。

国を治めようとする君主が生きた行くために必要な家畜を殺すところをみるのは忍びがたくなります。その声を民が聞いてしまうと、食べるのに忍びなくなってしまいます。しかしそんなことでは、天下を治めることはできません。それ故に、君主たるものは、そのような気持ちになってしまわないように、調理をするために動物を殺している厨房には近づかないほうが良いのです、という意味です。
    
平安時代に在位した、第五十八代天皇の光考天皇(830~887)は、大変な料理好きだったので、天皇に即位してからも自分で炊事を行ったそうです。その煙で部屋が真っ黒になっていたため、「黒戸の宮」と呼ばれていたほどだったそうです。光考天皇は百人一首の歌が有名ですね。
 
君がため 春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ
 
光考天皇は、教養も豊かな天皇さまで料理好きだったということは、男性が炊事をすることが決してみっともないことでも何でもなかったことを示しています。「男子厨房に入らず」は決して男尊女卑ではなかったのです。
 
この言葉を聞いて男尊女卑の名残だと思う人も多いであろうが、この言葉の真意はそういうことではない。

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