「ご利益信仰」について

「ご利益信仰」について
ここ1週間、夏祭が無事終了し、ほっとすると気が緩んだのか、軽い熱中症になり体調をすぐれない毎日が続いています。今日は「ご利益信仰」について記載します。
「ご利益信仰」というのは、自分の都合で神仏を利用することです。本来、神仏の信仰とは、先祖の位牌を拝んだりお墓参りをすることではありません。 仏の教えを正しく認識し、これを誓い、行う実践行であり、清く明るく正しく生きるのが神道の教えだと思います。

神社に相談に来られる人たちには、新興宗教に走った人達が何人かいました。その人達に共通しているのは、虚弱体質で困っていたり、不幸事が連続して起きていたりすることです。そんな人たちに共通点があります。純粋に生きていくことが辛かったり、何かにすがっていないと辛いから信仰を持ったという点です。

日本には多種多様な宗教があります。そして、様々な形で、様々な人達が信仰をされています。自分の信仰を持つことはたやすいことですが、信仰に生きるということは容易なことではありません。どのような宗教であれ、真の宗教であれば人を不幸に導くものはありません。それぞれに幸福に生きるための道を教えています。

「ご利益信仰」という言葉があります。これは、信仰することによって御利益がもたらされると信じ、良いことが起きることを前提に信じる信仰です。

 それ故に良いことが起きなかったり、変わらなかったり、逆に悪くなったりすると、「信仰しているのに、何で良くならないんだろう。毎日拝んでいるのに何でこんなに苦労するんだろう、何で自分ばかりこんなに苦しまなければならないんだろう」と、不平を言ったりします。

どんな人にも親がいます。そして、遠く続いたご先祖様がいます。今ある私たちの体は、親から、そしてご先祖様から連綿として受け継がれてきたものです。ですから、我々には遠いご先祖様から受け継いだ縁・つながりがあります。その縁を背負って生きていかなければなりません。良きことの縁もありますし、悪きことの縁もあります。すべてご先祖様からのつながりとして受け止めていかなければなりません。

私は、先祖が良い縁を積んでいれば、良いつながりのもとに生まれ育つと思っています。仮にご先祖が悪い縁を積んでいれば、悪いつながりのもとに生まれくると思います。当然に良いつながりのもとに生まれ合わせられた人は苦労が少ないと思います。

悪いつながりのもとに生まれ合わせた時に苦労が多いと思います。「人生いろいろ」「人もいろいろ」「縁もいろいろ」、兄弟姉妹であっても受ける縁が違ってきます。しかし「一所懸命信仰しているのに、どうしてこんなに悪いことが続くんだろう、どうしてこんなに自分ばっかり苦労するんだろう」と思うのは当たり前です。

しかし本当の信仰に生きるとは、自分の境遇に不満を持つのではなく、この縁を受けさせてもらうことが、神さまから自分に与わった試練であると受け止めて、自分自身反省し、祖先からの悪い縁をたち切ることができるのは私だから、神さまが与えてくださった試練であると喜んで苦労を受け止め、感謝のできる人こそ真の信仰者でだと思います。「有り難う」と言う字は「難有り」という意味です。

 そうした信仰があればこそ、どんな苦しみにも耐えて乗り切っていくことができ、できざることができてくるという不思議が起こり、悪い縁を断ち切ることができるのです。

自分より困っている人たちが大勢いるのですから、現状を注視して人に感謝されることを行い、その感謝の心が徳を生み出します。自分がだんだん徳を積んでいく時、自分の時代にその徳が返ってくるとは限らなくても、次の時代には必ずその徳が返ってきて、子孫が幸せになれます。

私も恥ずかしながら、若い頃、随分と乱暴な人生を歩んできました。一歩間違えれば取り返しの付かないことも多くありました。その方面からは有名な存在でした。そのため先代から勘当されたこともありました。その時に先代から「先祖にもお前みたいな乱暴ものがいたのであるから、このままで行くとお前の子供もお前と同じ人生を歩むことになり、苦労が絶えなくなる」と。

それを子孫に残さないように、人々に感謝されるように生きなさいといわれた言葉が身に染み付いています。どんな辛い境遇にあっても、「神さまのお蔭」だと思い艱難辛苦から逃げないようにしています。

それと東日本大震災の被災者から比べれば何でもないことだと言い聞かせて生きて行くことです。それと良き縁のもとに生まれ合わせられた人は、幸福かも知れません。しかし、平穏な毎日の生活を当たり前と思って過ごしている中には、感謝の心が薄らいでしまい、不平や不満の心がわき出てきます。常に神仏の感謝と他人に対して労わりの心が必要です。

「神仏の感謝」「慈悲の心」「生きていることの喜び」からは「油断の心」は生じないと思っています。それがそのまま子孫に伝えていくことができるのです。どんな境遇にいても、「神仏のお陰だ」と、感謝のできる人こそ、真に信仰のある人だと思います。

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