『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』について

『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』について
昭和41年、東映東京作品『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』が上映されました。私はヤクザ渡世を義理と人情と溢れ出る男気で生きる高倉健さんが演じる「男の中の男、花田秀次郎」が大好きでした。『昭和残侠伝』のシリーズは9作あり、「唐獅子牡丹」は第2作めでした。当時、私は浪速高校の学生でしたが、当社の社務所建設のために叔母の浪速区下寺町に工事が完了するまで一時下宿していたのです。

叔母の家から新世界まで歩き、そこから地下鉄で高校に通学していたのですが、当時の新世界は映画館や芝居小屋、居酒屋がおもちゃ箱をひっくり返したように軒を並べた庶民の町でした。近くに愛隣地区があり、労務者の憩いの場所でもありました。通学時には上映されている映画の看板やポスターを否応なしで見てしまいます。そんな中でも昭和41年1月中旬、正月が終わり寒いころ、『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』の看板が目にとまり、かっこいい刺青姿の花田秀次郎こと高倉健さんの姿がありました。

1月中はオフですので日曜日は野球の練習はありません。早々に『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』を観に行きました。映画館に入りますと、労務者から年寄りまで満員でした。上映が始まりますと、悪徳やくざの傍若無人ぶりに健さんが演ずる花田秀次郎の我慢も限界に達し、義理と人情のために殴り込みをかけます。花田秀次郎が「死んでもらうぞ」というセリフを言うと映画館のお客さんの興奮は最高潮に達し、
「健さん、後ろから切りつけよるぜ」「後ろがあぶないぜ」という声がとどろきました。

花田秀次郎が後ろから背中をバッサリ切られ、血しぶき共に現れる背中の入れ墨「唐獅子牡丹」、「健さん、かっこがええで」「すてき」と言う観客の声が聞こえました。血の気を失いながらも悪い奴を叩き切る健さん、また観客から「悪が栄えたためしないんやぞ」と言う声が聞こえてきました。ヤクザで不器用ながらも実直に生きる、弱気を助け、強気をくじく、そして男の本懐を遂げる健さん、これが健さんが演ずる花田秀次郎の男の世界でした。男が男にほれる世界が健さんの『昭和残侠伝』シリーズでした。

上映が終わって帰るお客さんの目つきが変わっているのに驚きました。日本人の心に永遠に刻まれる健さんの「男の美学」が実感できたのでしょう。日本人には我慢に我慢をして、我慢が限度に達したときに決起するというDNAがあると思うのです。大東亜戦争も日露戦争も花田秀次郎と同じだと。

昭和45年11月25日、三島先生と自決された森田必勝さんは『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』を観られたかどうかは不明ですが、健さんが歌われていた主題歌「唐獅子牡丹」が大好きでした。実は三島先生も大好きだったそうです。昭和45年11月25日、三島由紀夫先生、森田さん等5名を乗せて自衛隊市ヶ谷駐屯地へ向かう途中、車中で歌われたのが主題歌「唐獅子牡丹」と聞いております。これが真実であれば、三島先生も我慢の限度に達しておられたのではないかと思います。

もし自決がなかったら、昭和55年1月の健さんと吉永小百合の映画『動乱』を共に観ていたかもしれません。

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